2015-12-30

30年越しのカミングアウト

人生約半世紀を経て、9月に開催された高校の同窓会。
その後、FBやLINEのおかげで、同級生との距離がぐっと縮まった2015年後半だった。←みんな、スマホ見る距離が遠いけどね!!



そんななか、有志の集まりで、今さらながら驚愕の事実を知ることになった。



高校2年のときの修学旅行。
女風呂を覗きにいった男子がいて、逃げるときにどこかから落ちてケガをしたヤツが
いるとかいないとか。

・・・そういえば誰かからそんな話を聞いたような気もする・・・。
・・・でもわたしにはその話についての明確な記憶はないなー。

そしたら、覗きに行ったという当の本人から、
覗きの確かな事実と、さらに

そのとき脱衣所にいたのはわたし

と聞かされた。




へっ??????

わたし?????




にわかには信じがたかったが、覗かれていたらしい。
どういう状態だったのかまでは、さすがに聞く勇気はなかったけど
基本、スパとか行くとき、あまり隠さない派。



いやでもさ、
逆にせっかく危険を冒してまで覗きにいったのに、
脱衣所にいたのがわたしじゃあ、がっかりだったね
ごめんね



と笑ってしまった。
どうせなら、もっとなんていうか、色っぽい女子がたくさんいるのに、
少女体型のわたしをたまたま目撃するハメになったとは(苦笑)。
しかも逃げるときにほんとにケガしたらしいから。

Kくん、ほんとにご愁傷様。
べろんべろんに酔っぱらってたから、
この話をわたしにカミングアウトした事実さえ
記憶にないかもね!








控えめに・・・オマケ


覗かれてから30年後(笑)

美しいメヘンディのキャンバスに
してもらった時のエピソード




2015-12-25

クリスマスの思い出

むかしむかしのことでした。
よのなかはバブルと呼ばれた時代のことです。


当時わたしがはたらいていた金融業界はまだ週休2日ではなく、土曜は半ドンでした。←ありえねー その前に半ドンって言い方がもう通じてなさそう・・・



そのころ、ちょっといいなと思っていた男性とクリスマスイブにデートできることになり、仕事中は気もそぞろ。
大急ぎで仕事から帰るとめかしこんででかけました。
でも彼にはクルマがないのでわたしが自分の車を運転してお迎えにいきました。←これもありえないけど、当時のわたしには日常茶飯事
そして一路YOKOHAMAへ。響きだけはロマンチックですが、ノープランでした。



ところがクリスマスイブの首都高は大渋滞。
首都高にはトイレがありません
めかしこんでみたものの、寒い中薄着すぎるわたしは、モーレツにトイレに行きたくなりました。
でもトイレに行きたいと言ったところで物理的にトイレはないわけで、デートの相手にトイレに行きたいとは言えず、ひたすらガマンしていました。
たぶん、横浜まで4時間くらいかかったとおもいます。
山下公園出口も大渋滞で、できることならその場で車を降りて出口を突破したかったです。



なんとかトイレに間に合ってほっとしましたが(←ガマンしすぎてトイレがなかなか終わらなくて困った)、食事の予約をしていたわけでもなく、どこのどんなお店に入ってどんな食事をしたのかも覚えていません。←ノープランですから



「クリスマスだし、せっかくだから帰る途中でケーキ食べよう」
というやさしい彼の提案で、当時にわかにホテルが立ち並び始めた舞浜エリアへと戻りました。
ところが、舞浜エリアも渋滞の嵐
ただただホテルを横目に渋滞の中でひたすら耐えるふたり。
ようやく駐車場に車を停められ、ホテルへ入ってみたものの、これまたすごい人、人、人でお茶できるどころではありませんでした。



結局ホテルでトイレだけすませ、ケーキをあきらめて帰ることになりました。
彼を家まで送り、ようやく自宅へたどりつきましたとさ。




え?それだけなの?
なんのロマンスもないじゃん!




・・・っていう残念なクリスマスの思い出。
HA HA HA・・・





2015-12-18

ロマンティックな記憶

どちらかというと、過去のことは積極的に忘れるようにしている。
自分の中で重要だったかもしれない事実も、時間が経ってしまえば、なんで重要だったんだっけ?くらいの出来事と化している。
・・・というか、もはやそんなことがあったのかどうかの記憶も曖昧に・・・。
だって、「現在(いま)」があまりにも幸せだし楽しすぎるんだもん!(ありがたや、ありがたや・・・)



記憶というのは、たぶん、長い年月の間に、事実を自分の都合のいいように捻じ曲げてしまっていることも多いと思うし、事実自体を自分が勝手に勘違いしていたこともきっと多いだろう。



・・・ということも十分踏まえた上で、それでもなお、ふと思い出して浸ってみたくなる記憶というのもある。
ある季節が巡ってきたり、懐かしい音楽を聴いたりしたとき、そーっと取り出して、触れてみたくなる、ちょっとbittersweetな記憶。
その記憶は唯一、わたしが



上書き保存しなかった恋愛



なのかもしれない。
そしてたぶん唯一、



自分から好きになった恋愛




でもある。
ちょっとね、シチュエーションが特異すぎるというかドラマティックすぎて忘れられないっていうのもある。最近では、もしかして全部夢だったのでは?とすら思う。


あれから四半世紀経ってしまったけど、もっともっとおばあさんになっても、わたしはこの記憶を覚えていて、時々取り出してみたりするんだろうか?






2015-12-10

夫婦の交友関係

とりあえず、オットはわたしの交友関係について、主要な人たちの顔と名前は一致する形で認識している。
わたしもたぶん、最低限、オットの職場や古い友人については顔と名前が一致して認識している。


実はこれって重要。

だって、もし、万が一、わたしの身に何かあって、わたし自身が意思疎通が取れない状態だったら、オットは両親親戚以外に誰と連絡を取ったらいいのかわからなくて困るよね。
なので、そんな場合には仕事関係は○○さん、友人なら○○ちゃんに連絡してほしいとオットに伝えてある。
お葬式に呼んでくれとか、そういうことではなくて、一応、万が一の場合は事実として大切な人たちに知らせてほしいから。
逆に、わたしもオットの同僚の携帯番号をたまたま知っていて、それで助かったことがある。
なので、最低限交友関係を把握している(しておく)ということはとっても重要。


ところが。
わたしが一番一緒にいる時間の長いヨガ友たちとオットを繋げる機会がなかなかなかった。
一緒に旅行に行ったり、休日の時間の大半を一緒に過ごしている大事な仲間たちなのに!
そんな話をヨガ友にしたところ、みんなで集まる食事の席にオットを同席させてもらうことになり、先日、ようやくヨガ友たちにオットを紹介することができた!


やーやー、これで一安心。


人生も約半世紀ほど過ぎてしまったし、わたしたちは夫婦2人の家族だから、ある程度自分たちだけでちゃんと始末がつけられるようにしておかないとね。



2015-12-03

YTU®セラピーボール修了書課程 修了しました!

10月中旬に受講したヨガチューナップ®セラピーボール修了書課程。
受講後8週間以内に宿題を提出すると次のステップ(講座)を受講することができるので、なんとか頑張って宿題を提出しました。


そして晴れて本日、修了書と宿題のフィードバックをいただきました!パチパチパチ!


もちろん、一緒に講座を受講したスタジオの先生と情報交換したり、ビデオ撮影のためにスタジオを使わせていただいたりと、宿題を提出できたのは自分ひとりの力ではありません!ありがたや~。

でも宿題に取り組んだことで自分の知識が広がり、それが自信に繋がってインストラクションにも説得力が!今回の宿題は、やってみて本当に自分の身になったと実感しました。


解剖学の素地がなかったため、宿題の内容を理解して進めるために購入した模型。
名付けてマミちゃん。今後も更なる勉強のために活躍してもらいましょう~。
(掃除のときいちいち机の上に避難させなければいけないのが、ちょっと面倒・・・。)


月イチ、路地裏Shanti+plusで開催している「リストラティブ・ヨガ」クラスでも使っていきますよ~。セルフケア方法を知りたい方はぜひクラスに来てくださいね!
そのうちマミちゃん(←模型ね)も登場するかもしれません・・・。


YTU®セラピーボールの在庫もあります!





2015-10-24

タパス

いざ言葉にしようとするとまとまりがつかないのだけれど、ときどき?いや周期的に、かな?とても苦しくなることがある。肉体の苦しみではなく、静かな心の中の葛藤。

大好きなことをやっているのに、大好きなことに苦しめられるという、、、、矛盾。
本当にうまく言えないけど、


嫉妬
羨望
焦燥
執着


もうドロドロ。



アシュタンガのプラクティスを始めたばかりの頃、それはそれはもう、練習がしたくてしたくて、どこに行けば練習できるのか、あちこち探してクラス受けに行ったりして、もういつも練習飢餓状態(苦笑)
なのにその頃はなかなか継続的に練習できる環境が整わなくて、ずっとずっと心の中でもがいてた。
・・・で、今になってようやくプラクティスの環境を見つけて、習慣化することはできた。


でもわたしが熱くなっていた当時はアシュタンガってなに?くらいの興味だった仲間たちが、今や理想的な練習環境にいて、師とする先生と出会った途端にものすごい勢いで練習を深めているのを目の当たりにすると、うらやましいとともに、悔しくて仕方がないのだ。



あんなに熱望し続けた自分にはすぐに手に入らなくて、
彼女たちは簡単に手にしている



それが悔しくて、うらやましくて、嫉妬に駆られる自分がいる。




そしてそんな自分を見てダメダメなんだと、またしても自分を責めてしまう。
自分を認めようと努力しているつもりなのに、また自分が嫌いになってしまう。
そんなことをグルグル考えて、悲しくなって泣いてしまう。




いったい何のためのヨガなんだ?




練習環境ができた。それだけで十分感謝すべきことだ。
今あるものに感謝しよう。
そう頭の中では理解しているのに。
そう納得しようと押さえつけても、ムクムクとイヤーな感情がときどき顔を出す。








人間らしいっちゃ、らしいけど。







そんな感情もあるよね。普通。

わたしはコドモの頃から勝ち目のない競争には最初から手を挙げないタイプで、
闘争心がないから、バスケみたいな意地でもボールを奪ってやる!的なスポーツも苦手。
テストで誰かに順位を抜かれても、キィーーーーっ!悔しい!という感情も希薄。
仲間外れになりたくないから横並び意識が強くて、競争心もない。

というタイプだったと自己分析している。
何ともコドモらしくない。
感情にまかせて取り乱すのがみっともない、という意識があったような気がする。


そんなコドモ時代に比べれば、ドロドロでも今のほうがいいかな。
・・・とは思えるようになった。
こんなわたしもわたし。

でももっと、純粋に練習を楽しみたい。
余計なことにとらわれずに。
いつになったら、不要なものを手放せるのだろう。







2015-10-23

感謝しみじみ。

10月はピンクリボン月間ということもあり、北斗晶さんの乳がん報道などもあってか、TVの情報番組で乳がんに関する特集をよく見かける。


そしてそういう番組を見るたびに、自分がこうやっていま、まったく普通に、いまのところなんの問題もなく、生活していることに感謝せずにはいられない。


少々の不満やストレスなんて、病気で苦しい思い、ツライ思いをするのに比べれば、とるに足らないことじゃないかと思ったりもする。
・・・でもストレスが身体を蝕むんだけどね・・・。



"当たり前"の毎日がくることに感謝。
いつも心の片隅に小さな感謝を忘れずにいたい。




2015-10-17

サンカルパ

わたしはまだ、サンカルパとはなんぞや?
ということを自分の言葉で語ることはできないので、
↓こちらを参考に。

「祈る」というアクション  「8 サンカルパ」



今日、
「いま、あなたのサンカルパを決めてみて」



と言われてすぐに決めた。




認めます




・・・自己承認。



そこにもうひとつ付け加えるなら




許します



・・・不完全な自分を。






2015-10-15

ここ3日ほど、立て続けに引いてるカードが


Riding the Waves


するりと乗れる波が近づいているのかな?




以前、武田双雲さんのブログで「チャンスってつかむもの?」というエントリーが、
あまりに目からウロコだった。双雲さん、ほんとにすごいわ。





ついつい、乗るべき波はどれだ?逃してなるものか!



って気負ってしまうけど

もっとリラックスしていればいいのだ





ぼんやりと漂っていないで

そろそろ波がくるよ




と捉えてみよう






2015-10-14

センチメンタル

手術(子宮頚部高度異形成)から5年経つので年イチになった定期健診。
年イチだろうが、半年に1回だろうが、痛い検査をされると思うといつでも憂鬱。


たまたま先月は生理が来なくて、あー、さすがにもう来ないのかな?と思っていたら、1ヶ月遅れでやってきた。
・・・と先生に伝えると「更年期の症状が出ていないなら、まだ大丈夫でしょう」とのこと。


内診のとき

「まだ卵巣が見えてますからね、まだ大丈夫です」

と言われ、


え?子宮口から卵巣って見えるの?と内心びっくり。
でも考えてみたらそうか・・・。
卵巣から卵子が子宮に排卵されるんだもんね。子宮から卵巣が見えても不思議じゃない。

・・・っていうか、見えなくなる・・・つまりその道が塞がることが 閉経 なの!?
わたしは卵巣から卵子が出なくなること自体が閉経なんだと思っていたんだけど・・・。
通ってくる道が塞がるってことなの!?先生に確認したわけじゃないんだけど、そうなの?



なんだか衝撃。





女性として生まれてきたのに、せっせと卵子を送り出してくれてた卵巣も、新しい命を育むべき子宮も、その機能をまったくもって活かされず衰えていくんだ・・・と思うと、なんだか切ない。
自分のカラダに「ごめんなさい」と深く謝りたい気持ちになる。
わたしの感情とは裏腹に、わたしのカラダというか、細胞というか、DNAは、本来果たすべき機能をちゃーんと働かせてくれてるのだ。今現在も。




秋だからか?ちょっとだけ、おセンチな気分になった。





2015-10-13

アファメーション

わたしは美しい「ヘナクラウン」が描けるようになりたい。
病気で身体的に女性としての自信を失いかけている人がいたら、「ヘナ(メヘンディ)」というツールを使って、たとえ一時的にでも自信を取り戻す時間を持てるようなサポートがしたい。
女性は賞賛されるべき存在なのだから。



そして、揺るぎないココロを持ち、自分で自分のカラダを労わることも、強く鼓舞させることも、思いのままにできるように、内側からも外側からも自分という存在を大切にできるように、「ヨガ」というツールを使ってもらいたい。知ってもらいたい、そんなサポートがしたい。





Control Yourself
or
Someone Else
will
Control You


unkown ・・・誰の言葉かはわからない。
昔の上司から聞いた言葉。
聞いたときは素直に受け止めることができなかった。
アグレッシブで身も心もタフな彼女がこの言葉を言うと、

殻をぶち破ってガンガン行けや~!
立ち止まらないで進めや~!
さもないと誰かにかすめとられるで~!

別に関西出身の方ではないんだけど、なんだかこんな風に
ムチでバシバシ叩かれて強いられているように感じていた。
きっとわたしにバイアスがかかっていたのね。




今のわたしなら、こう解釈する。




あなたは唯一無二の存在であり、
あなたのすべてはあなた自身が握っている




そんなふうに、今、わたしのココロに降りてきた。


決断するのも、手放すのも自分次第。
自分の始末は自分でつける。
だから、それに耐えうる強さを身につけよう。





2015-10-12

変容への静かな流れ

少し前にチャネリングでメッセージをもらったとき、


メヘンディを肌に描くだけではなくて、
紙とかそういうものからはみ出して手がとまらないくらい
いろんなものへ描いているのが見える、



・・・と言われた。
その直後はまだそういう流れにならなかったけど、
この頃少しずつ、そんな流れになってきているように思う。


きっかけは今年のナマステ・インディアに向けて、ちょこちょこ雑貨に手をつけてみたことだろう。
苦手だと思っていたけど、


この手から何かを生み出すのが楽しい!


そう思うようになった。
思いのままに、創りたいもの、表現したいもの、を手掛けていってみようと思う。





つい最近、ある思いグセをひとつ、手放した(つもり)んだけど、
その行動も含めて、無意識のうちに「変わる」方向へ進んでいる気がなんとなくする。
こういう直感て、けっこう正しかったりするんだよねえ。

朝出かける前にMy祭壇から引くカードのメッセージだったり、夜寝る前に開いてみる「ヨガ・スートラ」の言葉だったり、なんか自分の中で「やっぱり」と思うフシが増えてきた。

たまたまメヘンディのサークルで、何を描こうかなーってねちっこく探しているとき、なんだか蛇ばかり気になって。
結果、仲間に蛇を描いてもらったんだけど、なんか気分がアガるの~。


蛇ってさ、変容を表す象徴でしょ?何度も脱皮するから。(わたしが勝手にそう思ってるのかな?)
無意識下の意識が、もぞもぞと動き出している気がしてならない。



あ、そういえば、なかなか解約できなかったdocomoの携帯、ようやく解約できた。
(もったいないからとか、迷ってたとかそういう理由じゃなくて、ただ店頭に行くのが面倒だっただけなんだけど。)
携帯電話自体も穴開けて回収してもらってスッキリ~!
やっぱり不要なものはいつまでも持っているべきじゃない。


寒くなってきて、足を出さない季節だから、せっかく描いてもらった蛇が見せられなくて残念だなあ~。



2015-10-11

ほんとに必要?

とても無知(かもしれない)な発言をするので、FBなどあっという間にたくさんの人の目に触れてしまう場ではなく・・・、あまり見る人のいないこちらにてつぶやいてみる。


TVCMで「65歳以上の人は肺炎のワクチンを!」ってやってるんですけど・・・
わたしとしては、



え?肺炎で死ねるならいいじゃん!



と思うのですが、安易な発言でしょうか・・・・。


ワクチンの是非をとやかく言うつもりはない。
長く入院したり、つらい検査や治療をするような病気にかかって、大変な思いをして生き続けたり、果てはその結果、体力の限界がきて命を全うするより、肺炎でさっさと逝くほうがシアワセじゃね?(←言い方、若いコぶってみた)


と思う。


わたしにしてみたら、検査や治療のほうが、何倍もコワイ。想像したら眠れなくなくなるくらいコワイ。
長生きして得体のしれない病気のリスクを抱えるより、肺炎で入院して3日で死亡とか、そういうほうが望ましく思える。


・・・どちらにしても、長生きはしたくない。
コドモや孫がいる人は、長生きして成長を見守りたいと思うんだろうけど、わたしの場合、そのうち家族もオットだけになると思うし。
そう言うと、もしかするとコドモのいない人のひがみ?とかあきらめ?のようにとる人もいるかもしれないけど、わたしはこの考え方が後ろ向きなものとはぜんぜん思っていなくて、暗い気持ちでもない。
ただ太く短く人生を謳歌して、楽しい人生だったなーって最期を迎えられればいいのだ。
(・・・ただ、それは孤独死かもしれないという一抹の不安はある・・・)



たぶん、今のわたしのまま65歳になったら、肺炎のワクチンは打たないと思う。
免疫力を上げておくように努力はするつもりだけどね。





2015-10-02

自分の根底に静かに在るもの

あるひとのブログを読んで思った。
わたしはまだまだ、ヨガを”特別なもの”として位置づけてる。


ヨガがもたらしてくれたもの
ヨガの後の高揚感


それはわたしの、フツーの、平坦な生活にかなりの刺激を与えてる。
正直、生活の中にヨガが息づいているというより、ヨガするために生きてる、みたいだ。




でも果たしてそれがヨガなのか?
それがヨガをしている目的なのか?



ちょっと立ち止まって自問自答してみる。
いまやっている自分の行いを正しい、間違っているという解釈で判断はしたくない。

ただもっと静かに、自分の根底にヨガという習慣が存在するようになるといいなと思う。
静かに存在するくらい、ヨガの練習を淡々と続けよう。


2015-09-28

ナマステ・インディア ―プライベート編―

ナマステ・インディアでのお楽しみは、もちろん買い物。
今年もお目当てはアラジンパンツ。いや、かたちでいうとサルエルパンツか。
それとあわよくば、インドの神様像。


パンツの方は、目移りしちゃうほどいろんな色柄があるので、仲間の意見を聞きながらチョイス。
ついでにガネーシャのTシャツも。

ラグとパンツの柄がケンカしてる・・・(苦笑)
そして、どうしてもいつも写真におさまりたいお嬢。


インドの神様像、やっぱりブラス製?は高くてなかなか手が出なーい。
ガネーシャTシャツを買ったお店でキラーリと光ってわたしの目にとまったのは、クリスタルのガネーシャ。

カワイイ!
お手頃プライス!

ってことでお買い上げ~。
ちょうど28日は満月だし、My祭壇に置くのだ~!!



2枚目のパンツを買ったお店に、バガヴァッド・ギーターカードが置いてあって、1回100円でカードリーディングができるというサービスがあった。
わたしはあえて何も心の中で決めずにカードを切り、一番上の1枚を引いてみた。


マーヤー=可能性を現す力

解説書を読ませてもらうと

新しいことを始め、自分の新たな力に挑むなら今

って出たよ~。なんかまたテンションあがるわ。
やっぱりバガヴァッド・ギーターカード、欲しいな~。




メヘンディ仲間は(←わたしの立場で仲間とかいったらほんとは失礼だけど)、、それぞれバックグラウンドもぜーんぜん違うし、趣味嗜好もそれぞれ違って、みなさんとっても個性的!
得意なデザインも、線のタッチもぜんぜんちがうから、それぞれの個性が際立ってる。
描いた作品みて、「あ~○○ちゃんぽいよね~」ってすぐわかるから、面白い。

そしてそのアクの強い?(笑)個性的な集団の中に入り込んでもまれている時間はとっても刺激的で楽しい!
ひとたびヘナコーンを握れば嬉々としてメヘンディを描きだす仲間たちの姿は、見ていて自分までHappyになれるから不思議。
なんなんだろうね?この高揚感!アドレナリン出まくりですわ~。


イベントに出るたび、もっともっとデザイン力、レイアウトの美しさ、線の美しさ、磨いていかなければ!!!!!と思う。
でもまずは楽しみたい。心から、楽しい!楽しい!って思いながら描き続けたいと思う。





満月の今日、タイムリーに我が家へお迎えしたガネーシャをMy祭壇(アルター)へ。
ついでにもう少し祭壇もキレイに整えて。
バガヴァッド・ギーターカードの解説によれば、生み出すパワーは赤色に象徴されると。
パワーが弱まっている時、力が必要なときは赤いものを身に着けるとパワフルなマーヤー・シャクティを味方につけることができる・・・と書かれていたので、祭壇に敷く布も赤にしてみた。


ホワイトセージを炊いたあと、祭壇に置いたドルフィンカードを引いてみたら、

Entering New Dimension

わー!
バガヴァッド・ギーターカードにも通じるメッセージじゃん!
ますますテンションあがるわ~
My祭壇、大事にしていこ。







2015-09-27

ナマステ・インディア終了しました! ―メヘンディ編―

2日間のナマステ・インディア、無事、終了しました!

描くほうは1日のみでしたが、その間、ブースに足を運んでメヘンディを描かせてくださったみなさま、本当にありがとうございました。


メヘンディ目当てにイベントに来てます!
・・・なんてお話を聞くと、
来てくださって本当にありがとうございます!
とひれ伏したくなるくらいうれしいです。
描かれていったみなさんのメヘンディがキレイに染まって長く楽しめることを願っています!



個人的には、男女問わずヨガ友たちが次々とブースに顔を出してくれて、みんなの笑顔と楽しい会話で本当にパワーをもらいました~!
みなさんお忙しい中、本当にありがとう!ありがとうしか、もー言えません!!!
・・・あらためて思ったけど、ヨガ友はみんな、おいしいもの、楽しいことに貪欲だし、フットワークめちゃめちゃ軽い!!!



それと今回はミ☆ラ☆ク☆ルな再会が!!!
ブースを訪れた男性と目が合った途端、お互いに「あれ!?」って一瞬沈黙・・・。
「わたし、どこかでお会いしてますよね???」
平たく言えば、仕事関係でお世話になった人で、なんと奥さんも同じく「メヘンディ東京」(社団法人 日本ボディアート協会主宰)の講座を受けた人だという・・・
まさかそんな場所で、そんなつながりがあるとは夢にも思わず、世間て狭いなあ~(笑)
また地元(千葉県)でメヘンディつながりができてうれしい!



今回はアーティスト全員、雑貨作りなども着々と準備を進めていたので、わたしもかなーり焦りながら、なんとかかんとか、頑張りました。
ほかのアーティストさんたちと同じものを出してはクオリティの差が激しすぎるので、オリジナリティで勝負!


でも製作している間は思った以上に楽しかったです。
意外にハマる・・・。また作っちゃおうっと!
ほかにも試しに製作してみた雑貨にどんどんトライしてみようと思います!


2日間、本当にありがとうございました!








2015-09-25

北斗さんの報道

先日、タレントの北斗晶さんが乳がんの手術を受けることを発表しました。
北斗さんの場合は片側全摘の処置がとられるという・・・。


手術を迎える日まで、いくつものつらい決断をされてきたんだろうなと思うと、複雑な気持ちになります。
いろいろ迫られる決断を前に、何を信じて進めばいいのか、わからなくなる瞬間もあったことと思います。
お仕事柄、どんなに辛い思いがあっても顔に出せないことばかりだったと思います。


万が一わたしが死んでも迷惑をかけるのはオットや両親だけなので、思い残すこともそう多くはないし、そもそもわたしは「乳がんで死ぬ」とはカケラも頭をよぎらなかったのでシアワセです。
お子さんがいる方の場合は、万が一・・・ということが頭によぎった時、比べものにならないくらい複雑な想いに苛まれるだろうと思います。


病気になるって、それだけでツライことなのに、それを取り巻く感情やココロまで傷めてしまうのがツライです。


とにかく、辛いときは頑張りすぎず、ご家族にもたくさん甘えて療養してほしい。
そしてまた”元気な埼玉のおばちゃん”としてTVで活躍してほしいと一視聴者として願っています。





2015-09-17

☆おしらせ☆ ナマステ・インディア2015!

今年も9/26(土)、9/27(日)に代々木公園で


が開催されます。


このイベントにメヘンディで出店している

「メヘンディ東京」

ブースにて、素晴らしいアーティスト集団とともに、なんと、わたくし、今年もメヘンディを描きます。

↓「メヘンディ東京」に関するリンクはこちら!↓



会場内「メヘンディ東京」ブース番号は

V34


です!
26日(土)は描いていますが、27日(日)は裏方お手伝いをしています。

メヘンディを体験していってもらえればとってもうれしいですが、メヘンディに興味なくても、お仕事上身体に描けなくても、ぜひぜひ、わたしのお知り合いの方は、ブースへ顔を見せにきてくださいね!
大きなHUGでお迎えします~(*^^)v


お待ちしています!!!



2015-09-10

秋なのにHot!

一目惚れとか、ほとんどしない。
男性アイドルに憧れたこと、ない。

↑好きな俳優さん、くらいはいるけど、キャーとか言うほどじゃない




恋愛不感症か!?





ところがですよ、おくさん。

もう一目みて



ヤラレタ・・・・・

参りました・・・・・

目が離せない、釘づけです・・・・・




Brian Friedman





なんてステキなの!?

何がスゴイって、このダンスの美しさ!
手足のダイナミックさ!
息をのむとはこのことか!
クンバカしながら見ちゃうよ!!!


自分のカラダをこんなにも自由に操れたら
どんなに楽しいだろう!

↑わたしはリズム感ないからね、ダンスとかできないから




しかもイケメン!!!






この動画を何度も再生して、
あくまで静かに
ムネをズキュン、ズキュンさせている
今日このごろ。







2015-09-06

Back to 1985

昨晩は高校の学年同窓会があった。
高校を卒業して30年と少し。 ←年齢バレバレ(汗)
同窓会の前に同級生と話していて




わたしたち、半世紀生きてるんだね




とあらためてびっくり。(正確にはまだ半世紀に達してはいない)

は、はんせいきって・・・・・

そういう言い方をすると、なんかとてつもなく長い人生を歩んできたような(苦笑)




同窓会では、さすがに30年も経てば
懐かしさもあれば、
なんだかいまさらのような新しい驚きもあり・・・


いろんな思いが交錯する時間だった。


会が終わってしまっても、そのとき話すチャンスがなかった人ととも、
今はSNSという便利なツールがあって
ツールを使っている人であれば、気軽に連絡もとりあえる。



スゲーよ。21世紀。




今日は車検で車をディーラーに預けている間、家でいろいろ月末のイベントに向けて作業をしていたんだけど、
横でオットがまたもや「あまちゃん」のDVDを最初っから見ている。 ←何回見てんのかな???
あきちゃんの母、春子の高校時代というのは、まさしくわたしの高校時代。
憧れたアイドルも、ドラマから流れる曲も、ドンズバ。 「君に、胸キュン」とかね・・・


ただでさえ、高校時代に気持ちが引き戻されているのに、またもや「あまちゃん」のDVDで1985年頃へと気持ちを引き戻され・・・。



夕方、オットとディーラーへ車を引き取りに行った帰り道、カーラジオからわたしの忘れていた記憶を呼び起こす曲が流れてきた。

実は、曲のタイトルも誰が歌っているのかも知らなかったんだけど、曲を聴いているうちに、じわじわと昔、その曲が気になっていたことを思い出してきた。
当時、何が?かはわかんないんだけど、ぞわぞわと胸の奥~のほうをざわつかせるような気持ちで聞いてたし、今もその曲を聴いて同じ思いになった。


で、なんて曲だったのかなーと調べてみたら、


斎藤誠「歌えよヒッピー」


だったんだけど、なんと

1985年にリリースされたアルバムに収録されているという・・・




なんだかなあ。


まだしばらく、1985年にざわつかされそう。





2015-08-26

おとめ座意識

昨日は仕事の励みになるうれしいメールをいただいたり、しばらく中断していた活動を後押しするようなメッセージを受け取ったり。
どうも「仕事」がキーワードになっている時期らしい。
そういえば、「仕事」に関してココロに引っかかったブログのエントリーがあったことを思い出し、どこで見たんだっけ~と記憶を巻き戻してみた。

わたしの好きなブログの8/24のエントリーだった。
以下、そのまま引用。
ところで仕事って
・自分自身の喜びのため
・他者の喜びのため
という2つに大別されるのではないかと思うのです。

勉強のために
自分が充実感を持つために
仕事で成長するために…というのも
ご自身を満たす方を軸にした
仕事の動機ですね。


わたしは現在会社員として働いているけれど、有難くもこの仕事はまさに最初から「自分の勉強のため」であり、「仕事で成長するため」という前提で就いている。

フリーランスでやっていたWEBデザインの仕事は、”得意&好きなこと”だったけれど、振り返ってみればやっぱり「自分が充実感を持つため」「仕事で成長するため」のものだったのかもしれない。
クライアントさんの要望に応え、顧客満足度を上げるよう努力していたつもりだけど、自分の作品がインターネットという世界の中でたくさんの人の目にとまることの方を望んでいたような気がする・・・。



あまのさんによれば、

太陽が乙女座に入り、
11日に同じ乙女座に入った木星と
重なりつつあります。


これまで培った能力をフルに使い
周囲の求めることに的確に応じ、
きちんと実際的なことで
細やかな親切心も発揮して、
周りの役に立とう…


という
乙女座意識を発揮することでの
発展と幸運のチャンスが
わかりやすく目の前に在り、
意図もしやすいでしょう。


という星回りらしく、まさしく今、わたしはその影響を受けている真っ最中といえそう・・・。

今日もFBであるひと(直接の友達ではないともだちのともだち?)が、大金を投じて勉強したことを仕事にしようとしたが、結局好きなことが仕事になったらうまく回り始めた・・・といったような経緯を書いているのを目にしたし、


ちょっとずつハンドルを切り始める時期にきたのかなあ・・・




・・・そんなわけで、そろそろ再開したいと思っていた乳がん患者さんのためのヨガクラスを秋から再開しようと思う。
それと同時にレギュラークラス開催にもトライしてみようと思っている。




2015-08-25

表現者

細々と管理運営をお手伝いさせてもらっている企業サイトがある。
更新頻度はそう多くはないけど、ブログを定期的にアップすることと、月1回のメルマガ配信を続けて7年目。

メルマガは毎月の更新情報をまとめているだけの内容だけど、「あとがき」として、ちょっとした文章を自由に書かせてもらっている。
そうはいっても読み手は"○○会社から送られてくるメルマガ"として読むわけで、個人的なブログとは違い、毎回ネタ探しにはいつもちょっと悩む・・・。

デジタル系の情報を人よりたくさん集めていることもあり、IT系に疎い方でもちょっとお役に立ちそうな小ネタとか、話題になっているサイトや動画を紹介したり、その時インターネット上で旬な話題を取り上げたり。
それだけではつまらないので、その時自分のアンテナに引っかかった日常の話題を取り上げることもあって、それは犬関連、ヨガ関連のことになることが多いかも。


今日もネタに頭を悩ませながら原稿をまとめ、メルマガを配信したら、配信直後に返信があった。




なんと、




「あとがき」欄はウイットに富んだ小文で気に入ってます




と書いてくださってる!!!(涙!カンゲキ!)

しかも先月配信した「あとがき」欄の内容が、その方に”どストライク”だったらしい。


以前も一度、わたしが「あとがき」で紹介した言葉か何かに感銘を受けたとメールをくださった方がいて、ああ、きちんと目を通してくださっているんだなとうれしくなったけれど、今回はわたしの文章を気に入っていると書いてくださっているのが、本当にうれしかった。

たったひとりでも、自分が伝えたいことが誰かに届くうれしさを実感したし、「仕事」としてやっていることが小さな形であっても認められるのは、なんとシアワセなことか!



どんな形にせよ、やはりわたしは



”表現者”でありたい



のだと、あらためて気づかされた。





2015-08-23

オトナのプチ社会科見学「迎賓館赤坂離宮参観」

5月頃、会社の社長に「これに申し込んでよ」とお願いされたのが「迎賓館赤坂離宮参観」。
見学できるのは8月中の10日間だけ、1日2,000名となっている。
事前申込制でハガキかインターネットで申し込み、希望者多数の場合は抽選。
わたしはインターネットで申し込んだので、7月中旬頃に「参観証」なるものがメールで送られてきた。

抽選はあったのかな?なかったのかな???
その参観状況は後日、内閣府のこちらのページから確認できそう。


当日は都合が悪くなったからといって、申込名以外の人が行っても入れない。
公的身分証明書持参、参観証は画面表示不可でプリントアウトしたものを持参しないといけない。

・・・まあ、国の管轄する施設だからこれくらい厳重でもしかたないね


開館直後は混雑するとあったので、11:00頃を目指して行けばいいかなあと思っていたけど、思ったよりスイスイ行けちゃって、10:00すぎに迎賓館西門に着いちゃった。
わたしは迎賓館周辺を通りかかったこともなく、四谷駅のちょっと裏手にこんな風にババーンと正門があるとは知らなかった。
オットは会社が麹町に移転していた時期もあって、タクシーで通りかかることもちょいちょいあったが、まったく興味がないので気に留めたこともなかったらしい・・・。


国賓とかをお迎えするとき、この門がパカーンと開くのかしら

西門へ回り込み、受付。
まるで選挙のときのように受付係の人がノートPCを前に座ってる。
そこで「参観証」と公的身分証明書を確認され、空港のようなセキュリティチェックを受け、晴れて参観となるわけ。
ライター持ち込み禁止なので、セキュリティチェックのところに設置されたロッカーにタバコとライターを預け、バッジを胸につけていざ!


受付係毎に色分けされてたけど、深い意味はなさそう


パンフレットもひとりひとりにくれる



入ってびっくり。



ああ、写真でこの広さが伝わらないのが残念・・・



ひろっ!!!!!!!!





ここ日本?ベルサイユ宮殿じゃないの?(←行ったことないけど)





開館直後は混雑しますってあったけど、人は少なく・・・、誰も映りこまない写真が撮れてしまった!

このスケールには興味なさげだったオットも圧倒されたようで、「これは写真に撮らなきゃ」とスマホを取り出していた。


門にはこんな飾りが

そして建物の中へ。(館内は撮影禁止。)
ボランティアの説明員さんが見学できる各お部屋に2人ずついて、詳細を説明してくれる。
なかなかタイミングよくその輪に加われず、ちょっと遠巻きにところどころ説明を聞いて、「へー」とか「はー」とか言ってた。
見学したお部屋の1室をのぞき、すべての天井に絵が描かれているのだけど、その絵はフランスの画家が描いたものらしい。

オットは西洋文化がキライなので(←何時代の人だよ)、部屋自体はどれもあまりお気に召さなかったらしい。見学している人の中にも(特に男性)「税金つかってんだよなあ」という話声がチラホラ聞こえてた。
確かにそれはそうなんだけど、特級の美術品を見ていると思えば、どれもそうそうお目にはかかれない貴重な機会だと思う。

昭和の大改修まで迎賓館には暖房設備しかなかったそうで、冷暖房完備にしてから作った通風孔は、お部屋の雰囲気を壊さないようなデザインに配慮されてた。



一通り館内を見学して建物の裏側へ。
裏側では、来賓の随員用の宿泊部屋を公開していた。(撮影禁止で窓からのぞくだけ)



振り向くと



ババーンと立派な噴水が。
ご来賓のみなさまたちはこういうところをそぞろ歩かれるんでしょうな~
贅沢な空間。


この参観期間限定だと思うけど、お休み処的なテントとイスが用意されていて、自動販売機も置かれていた。
ノドがカラカラでお茶を買ったら、「このペットボトル、キンキンじゃん!!!こんなに冷えてるペットボトル買ったの、初めてだよ!!!」と妙なところにオットが感動していた・・・。



説明を聞かなければ気付かなかった建物の飾り


やっぱり日本ぽいものを置かないと、と思ったのか?甲冑?


正面玄関ホールの扉。ちょっとイスラムちっくな香りもする


見てる人と建物の対比を見ると、スケール感がわかるかなあ?

お庭?広場?の端っこに日本郵便の出張所がテント張ってて、なんか売ってた。郵便ポストもあったから、もしやそこに投函すると「迎賓館赤坂離宮」っていう消印がついたのか!?

バッジを返したちょっと先で、赤坂迎賓館関連の出版物やポストカードが買える。
せっかく来たからとオットが1冊買ってくれた。


1,000円ナリ。そう高いものではない。
聞きそびれた説明もこれで補完できる。

中をパラパラ見ていたら、非公開の純和風離れがあることに気付いた。
そこで面白い話を聞いた。

離れのお庭の池にいる鯉たちは、来賓が来る前は断食(←ちょっと大げさな言い方してると思う)させられるとか?
エサをやった時にばーーーーっと集まってくるパフォーマンスのためらしい。
鯉たちも大変だ・・・
まあ、普段からいいエサもらってるだろうから、そのへんは鯉も心得ているのかもしれない。


見学している間中、オットが「ここに来てるひとたちは、どこでこの見学情報を知ったんだ?」と首をひねっていた。
確かに、わたしも社長から「申し込んでみてよ」とお誘いされなければ知る由もなかった。
しかも大した期待もしないで来てみたら、これは貴重な機会だ!!!と思わざるを得ない場所だった。


秋には迎賓館前庭を一般公開するらしく、これは申し込みも不要らしいけど、館内には入れない。
館内見学をしたい人は、来年の5月頃、内閣府のサイトをチェックすべし!





2015-08-19

ときめくモノ

わたしがようやく小学生になる頃だったと思う。
クーピーペンシル」という画期的な色鉛筆?が発売された。
わたしがクーピーを買ってほしいとおねだりしたかどうかは覚えていない。
インドア派でちまちまと塗り絵などをしているのが好きなコドモだったので、「はだ色」とか、「やまぶき色」とか、12色色鉛筆のセットに入っていない微妙な色が欲しかったことは確かだ。


ちょうどその頃、建築会社に勤めていた父は会社の研修で欧米視察に出かけた。
たぶん、ギリギリ1ドル360円の固定相場時代。(←どんだけ昔のはなし・・・)
なのに父は、日本ではまだ見かけないモノをたくさんお土産に買ってきてくれた。
その中で、いまだにわたしの手元に残っているモノ。それがクーピーみたいな色鉛筆。


もちろん、分離するずっとずっとずっと以前のチェコスロバキア製
父は文具マニアなので、製図用品などもドイツ製のものとか使っていたはず。この色鉛筆を見て、ビビビっときたのかな?



こどもながら、わたしもこの色鉛筆に心を鷲掴みにされた。
だって、異国の香りがするでしょ?
もったいなくてあまり使っていないので、いまだにあまり減っていない。
でもなぜか???こげ茶色だけ、折れちゃったのか、失くしちゃったのか、普通の色鉛筆を入れてる。

独特の匂いと質感。
クーピーは軽いけど、これはずしっと重いの。



インターネットって本当に画期的。
わたしがこの色鉛筆を手にした頃は、地球儀で「日本はここ。ヨーロッパ大陸はここ。チェコスロバキアってこんなところなんだー」なんて確認することしかできなかったのに、いまや、何か文字を打ち込んで検索ボタンをぽちっとすれば、いろんな情報(正確なものも、間違っているものも)を得ることができちゃう。


・・・で、ふと思い立ってこの「BOHEMIA WORKS」という会社名?ブランド?を検索してみた。
ドンズバの情報はなかったけど、有名な鉛筆のブランドなのね。
でもわたしが持っている色鉛筆と同じ画像は見つけられず・・・。
別の会社との共同開発商品とか、ダブルネーム?商品だったのかな?
気になる・・・。
詳しい情報を知っている人がいたら教えてほしい!!!






2015-07-28

祝! 6ヶ月!

スタジオでのマイソール練習を始めて、昨日でちょうど6ヶ月。
今日はサクサクっとフルプライマリー終わらせて、カムダウン!
今後はどんどん練習していくんだ~。カムダウン。(←え?今さらかよ?って思ってもさらっと流して~)
いつも練習が一緒になるMさんは、スタジオ練習始めて(というよりアシュタンガを始めて?なのかな?)ちょうど1年なんだそうだ。
彼女は国際的で社会的に意義のあるお仕事をしている上に、二人のお子さんの世話をしながら早朝練習にやってくる。練習を始めて間もない人ほど、いろんな意味での進歩が目覚ましくて、ちょっとうらやましくもある。


練習を始めた頃と現在とでは、やはり違うなあと日々感じる。
修正してもらってやりやすくなったアサナもあるし、多少なりとも柔軟性があがり、安定感も出てきて、動きやすさがぜんぜん違っている気がする。
相変わらず、痛みと共存はしているけど。


ここ最近、シルシャサナが気持ち良い。
なんかね、足を上げきると、びたっとおさまる感があるんだなあ。
今まではどこか力が入っていたようで、なんかつらい感じがあった。
ようやく身体がわかってくれたのかな~?
時間がなくてフィニッシングを3パドマだけやるときでも、シルシャサナだけはやっとこ、みたいなかんじ(笑)。



ある日のマイソール練習
(スタジオのブログから拝借しました<m(__)m>)
暑いんで、先生を含め、早朝組はみんな短パン^m^







2015-07-25

プライベートな勉強会☆

WSで隣同士だったことがご縁で繋がったYさん。
住んでいる地域も全然違うし、関わっているヨガのスタイルも違うので、WS後はなかなかリアルな接点に至りませんでした。

でもYさんはとーーーってもそういうご縁を広げるのが上手な方で、今日はYさんが自主的に開催している勉強会(もちろんヨガのね)に参加する機会に恵まれました!
しかも、なんと、初参加のくせに、参加者の方にわたしがミニレッスンをするという・・・。
で、リストラティブ・ヨガのミニレッスンをさせてもらいました。

Yさん宅をお借りしての勉強会なので、ボルスターなしのリストラティブ・ヨガ。どうしたらリストラティブ・ヨガの良さを感じてもらえるかなあとわたしなりに工夫しました。
ブランケットやタオルをふんだんにお借りして、身体の隙間をつめつめ。
30分のつもりが結果、50分のレッスンとなりました。
王様まくらは大好評~♪るんるん。


レッスンのあとはYさんの手料理をいただきながら、ヨガ談義に花を咲かせ、お互いの疑問を聞きあったり、情報をシェアしたり。ヨガ談、楽しくていつも時間を忘れちゃう。
こうやって自宅を開放して、会を呼びかけたり、お世話をしたり、Yさんの行動力には脱帽~。
やっぱり何でも「やってみなはれ」の精神でね、まずは行動することが大事ね。



しかし、ヨガのこととなると、1度知り合ったらみんなお友だち、みたいな気分になってしまう自分にも今更ながら驚くなあ。
会うの2回目なのにご自宅にお邪魔してレッスンやっちゃう?みたいな(笑)。
でも本当にこんないい機会をいただいて、またヨガ仲間が広がって、大満足の一日でした!





ところで、横浜までの車中(ラクはカネで買いグリーン車)、気になるキャラをハケーン!!!

意識谷(いしきだに)高子(たかこ) by 柳原可奈子


雑誌とかメディアに出てくるヨガイントラってこんなイメージ!髪型とか、メイクとか、ね。
かなりデフォルメされてるとは思うけど、世間のヨガやってる女子のイメージってこんなじゃ???
さすが、柳原可奈子ちゃん、ウマイわ~。




2015-07-09

学校という名の檻

いじめを苦に自殺 という事件を聞くたびに、いたたまれない気持ちになる。
いつの時代になっても解決しないんだね。

学校という場所は、閉鎖的で特殊な場所だと、中高生の頃から思ってた。一度入ると逃げ場のない冷たい檻。
自分の年代をベースにした話だけど、公立学校の場合、何かが抜きんでているとか、特殊であるとか、何かほかと違うということはNGだ。
生徒たちは画一的であることを好む。

中高生の頃、一瞬たりとも楽しい時間がなかったわけではない。それなりに楽しい時間もあった。でもわたしにとっては本当に牢獄のようだった。先生たちは教育者ではなく、ただの看守だ。
時に理不尽とも思える規則で縛り、檻の中のこどもたちが間違いを犯さず、おとなしく席に座り、本を開き、話をきくことだけに注力している。
問題を解決しようとは思っていない。自分にふりかからないように息をひそめているか、生徒になすりつけるか。(少なくともわたしのまわりの先生たちはそうだった)

イジメは先生に相談したところで解決なんてしない。
とんちんかんな対応をされるだけだ。
思い切って学校かわるとか、海外留学しちゃうとか、それくらいのことをしないかぎり、イジメを受けた本人のココロだって立ち直りはしない。


わたしの場合、幸いなことに暴力はなかった。なかには複数人から殴る蹴るの暴力受けてる子もいたからね、女子同士のイジメであっても。
でも自分に向けられる人格否定の言葉は辛かった。
イジメをするほうが悪いと思うのだけど、あることないこと言われる誹謗中傷というより、薄々自分でも気付いてる短所を汚い表現で罵られるのでこの上なくツライ。わたしのせいなのね、わたしが悪いのね、ということにすり替えられてしまう。

成績はいいけど、チビでブスで(小3からメガネ&歯列矯正)自信がなくていつも内心ビクビクしてる様子が、ハタから見てイライラさせる格好の材料だったこともあると思う。加えてわたしがちょっと難しい言葉を使ったり、雑談の中で軽く「バカだね〜」って言ったりすることが、成績がよろしくなかった子たちには、今の言葉で表現すれば、上から目線っぽいというのか、すごくバカにされているように感じてもいたらしい。
わたしをはじめ何人もの子を次々とイジメの対象にしていた主犯格の女の子は、自信過剰で、見た目はキレイな女の子だった。
ちょっと不良っぽい男の子のことを好きだと言ってたわたしに、アンタ、自分の顔見たことあんの?ブスが◯◯くんのこと好きだなんて、よく言えるね?バッカじゃねえの?と高笑いされた。
そしたらわたしの中では、わたしみたいなのに好かれた◯◯くんも迷惑なはなしだよね。ごめんなさい。という自己反省というか自己否定に発展してしまう。
これはその後何年も、こんなわたしを好きになってくれる人なんていないんだという呪縛になって、そこから逃れられなかった。

だから、ブスでいじめられ続けた人生を、整形してやり直したいんです!って泣いて訴えたりする某TV番組に出る人の気持ちもよくわかる。
どんなに性格が悪くても、頭が悪くても、顔が良ければそんなマイナス面は棒引きされちゃうんだよ、若い時は。
だから母に、頭なんて良くなくていいから、キレイに生まれたかったと訴えたこともある。

わたしの親はそれなりに厳しくて、おこづかいも少なかったから、なかなか学校帰りの買い食いもできなかったし、一緒に遊びに行っても、わたしはコレ買わない、とか、やめとく、というのが多くなる。するとアイツ、どケチなんだよ、一度使った生理ナプキンだって裏返してつかってんじゃねえ?まで言われてた。


イジメが原因で自殺した子たちとわたしが違うのは、平気な顔をして家に帰れなかったこと。
べそべそと泣きながら家に帰れば、どうしたの?ってことになり、わたしがいじめられてた事実を母は知っていたし、知らない間に学校へ行って先生にも話をしてくれた。
そのとき先生は、たぶん、アイツらに何か言ったところでイジメは収まりませんよ。と母に言ったらしい。母は憤っていたけど、わたしは先生がそう言うのもわかるなと内心思ってた。
先生が諭したところで、その場はしおらしく泣いて「もうしません。反省してます。」って言いながら、心の中で舌を出すくらいの相手だということはわかっていた。
世の中には、悪意のカタマリみたいな人が存在するんだと、これは絶対修正不可能なんだと、その頃から感じていた。


だからこれはあくまでわたし個人の意見だけど、イジメで限界を感じている人は、親に心配かけたくないとか思わずに、その檻の中から出してもらう手段を考えてもらったほうがいいと思う。
今の時代、学校に通わないという選択肢だってありじゃないか。


2015-07-08

ある日の気付き

ある朝、朝練のときに先生と雑談していたら、先生が笑いながら

やすえさんは自分のカラダに厳しいねえ。

と言った。

まだまだ、っていつも言うけど、現状維持じゃダメなの?
呼吸も深いしアサナだってキレイだし、
全然、そのままでもいいんじゃない?

って。


ココロのなかで思った。
あ、やっぱりそう感じるんだー。
そう、わたしはどうしても自分に厳しい。
自分に厳しいのか?
自分を常に過小評価しがちなのか?
自己評価が低いのか?
それら全部か、、、。
自分で限界を作らないようにしようと
思ってるのに、
ここまで到達しなければ、納得できなければ
次へ進めない、というような線を
常に引いてる



え?やっぱり厳しすぎますかね?
エヘヘ。
現状維持でいいですかね?
エヘヘ。
じゃあ現状維持で、いきます!


と先生と笑いあった。
たまたまの、そんな会話だけど、後になって気付かされた。




ああ、そっかあ。



わたしはそんな自分との折り合い方というか、中庸、を学ぶためにアシュタンガと出会ったんだ。
自分の思考のクセに自分で気付いて、そこから抜け出して、もっと生きやすくなるために、アシュタンガと出会ったんだ。



たぶん、ね。



2015-07-05

オンナに必要なのは賞賛

今日はアーティストとして尊敬&憧れているステキな女性と一室に籠り、濃密な時間を過ごしました。



どんな濃密さかって、、、



マッパ



わたしだけが、ね(笑)

ちなみに罰ゲームではありません。




一緒に過ごした4時間あまりの間に、もはや自分が全裸ということをほぼ忘れていました。


正直、勇気いります。全裸。
若くてピチピチの頃、


”クラシックコカコーラのボトルみたい”


と言われたスリムなボディラインは、もはや影をなし、、、
こんなカラダを差し出してスミマセン的なorz。


でも素晴らしいセンスのアーティストである彼女は、喜々として(・・・たぶん)作品に仕立て上げてくれました。

黙っていれば、わたしとはわからないボディ。
筋肉質すぎる僧帽筋も背中もたるんだ二の腕も(恥)気にならないキャンバスになっていました。


アートの効果は絶大で
加えてオンナとしての魅力を引き出してもらい
なんか、自分がちょっとイイ女になったきぶん。



やっぱり、オンナというのは

賞賛されてこそ

育つものだと思う

そして自分の根底にあるものを認め

自分を解放して初めて

開花するのかもしれない






2015-06-26

ブタもおだてりゃ・・・

最近、ちょっとしたリップサービスに、内心




にまぁ~^m^




っとする瞬間がある。

だいたい洋服を買いに行ったときなんだけど。
販売員さんは売るのがお仕事だからね、
リップサービスをいっぱいしてくれちゃうね。

しかも販売員さんたち、若くてオシャレでカワイイじゃない?
そんなコたちに褒められたら、なんか



そ、そうぉ?




的な、まんざらでもないかんじになっちゃう。


そのリップサービスは、たとえば試着室から出てきた時に

「わあ!すっごくお似合いですね!!」

とか

「お客さま細いから~」 ←実際は細くないんだよ。

みたいなのではなくて、




雑談だったり、何気ない会話のやりとりのときに


「お客様、とってもチャーミングな方ですね!」


みたいなことを言ってもらえることが、最近多いのね。


なんか、うれしくない?

オバサンが何喜んじゃってんの、勘違いするんじゃないよと
オットには釘をさされそうだけど、




アタシ、チャーミングなの???



うふふ~、こんな若くてカワイイコが、
わたしのことチャーミングだってぇ~




わたしの脳内で、

花畑を白いコットンのワンピースを着た少女(のわたし)が

うふふ~

あはは~

と走り回る

・・・そんな画が浮かぶ。恥ずかしながら。



いただいておきましょう。
ありがたく。
そのお言葉。






2015-06-25

朝練と妥協しないオンナ

2月頃から痛かった左坐骨。(長いな・・・)
ひどいときは本当に痛くて、仕事で座っていると痺れるし、立ち上がると痛くて歩きづらい。
立位で前屈というか、足裏を伸ばすようなことをすると、かなり痛い。
寝ている時も疼く。
昼休みは整骨院に通い続けた月もあった。
正直、毎朝、おそるおそる練習を始めていた。


それが、ようやく痛みも落ち着いてきて、左坐骨にばかり神経が向く、という状態は脱したようだ。
気温も上がってきて、身体もすぐ温まる(それどころか、汗だく)し、動きやすくなってきたので柔軟性も上がっている。
痛みがかなり薄らいだので、練習に集中できるし、何より楽しい。



朝練を日課にしてやっと5ヶ月。
先生に

「だいぶ練習スタイルが変わってきたんじゃないですか?いいペースができてきたかんじ。」

と言われた。
集中していることには変わりはないんだけど、確かに、少し余計な力が抜けてきたような気がする。
力が抜けてきたのは練習環境に慣れてきたからというのもあるけれど、最近、マットの上の「わたし」がブレていないという実感はある。


♪ありの~ままの~♪  もう古い?(^_^;)


とでもいうのかな?
ただ呼吸を意識して自分と向き合う。





ついでに

「でもやすえさん、妥協しないですね」

とも先生に言われた。
もちろんいろいろ個人の事情はあってのことだけど、張り切って朝練始めても、だんだん「やっぱり週3ペースにします~」みたいなかんじになっていくらしいのに、わたしは可能なかぎりスタジオへ行く。



たしかに



わたしは 妥協しないオンナ だ(笑)

自分に厳しい バースデーナンバー「1」のオンナだ(笑)



何度もトライした宅練の経験上、この日はやる、この日はやらないとすると、どうしてもダレる。
なし崩し的に「いいや、今日も寝ちゃおう」の日ばかりになって、やらなくなってしまう。

どうせ会社へは行かなきゃいけないわけで、その前にできるかぎり練習に行く。
そうしたら、「会社、行きたくないなあ~」という気分どんよりな日も、
「練習に行かなきゃ」とスタジオに行って練習すれば、
会社に行きたくない気持ちが薄れたり、
どうせ会社は通り道なんだから行くしかないよと
自然に足も向く。



練習すると、実に



ポジティブ



な毎日なのだ~



何より、アシュタンガを始めて何年もずっと



継続的にちゃんと練習したい(泣)



と思い続けていた環境をやっと手に入れたわけで、
時間の都合上、毎日ハーフまでしか練習できなくても
とにかく


練習を続けられることに感謝



している





2015-06-24

身軽に、シンプルに

1年ほど前から、急激にネイルへの熱が冷めた。

それは、ときどきアロマオイルを使うようになったからかもしれないし、
ときどき人の身体に触れる機会があるからかもしれない。

爪を伸ばす必要性を感じなくなり、短めにそろえている。



ネイルをすると楽しい。気分がアガる。
他人からほめられる。もっと気分がアガる。

でも、オフした後のダメージが大きくて、
正常なツメに戻るまでにとても時間がかかるようになったし
ボロボロの自爪を人目に晒すのもちょっと悲しい。



今は、手も足も、ピカピカで健康な自爪のほうがカッコイイ!
と思っている自分がいる。





もともとメイクは得意じゃない。
いろんなことへの探究心はある方だけど、
メイクに関しては、自分に自信がないために


わたし程度が頑張ってメイクしたところで
イタイ女と見られるだけじゃないか・・・
仮にメイクしてキレイになれたとしても
本当にキレイなわけじゃない・・・


と努力を避けていた。
それでも人並程度のメイクは義務感でしていた。



今は、素肌が整っていれば十分!
と思っている自分がいる。
大した器量ではないが、表情が豊かで
輝いた顔であればいいんじゃない?

エステで肌のお手入れはしてもらうし、
日焼け止めは塗るけれど、
よほど気合を入れるイベントでもなければ
ファンデーションは塗らなくてよろし。
もはや、気合を入れるイベントなんて、
ありゃしない(笑)。
だいたい朝練ですべて流れ落ちるので、
ほぼ毎日、会社に入るまではまったくのノーメイク。





自分に自信がないので、
唯一、キレイねとほめてもらえる髪を伸ばしていた。
見た目も中身もカワイイ女子ではないので
髪を長くしていれば女子っぽく見てもらえるかな
と思っていたフシ(下心的な・・・?)もある


アシュタンガの練習に集中できないからと
切った髪は、もう伸ばせない・・・(苦笑)
今は長い髪に頼ることなく、わたしはわたしであると
胸を張って言える
ショートヘアはわたしが自分を認めた証でもある





おそろしいスピードで老化が進んでいるにも関わらず
若い時よりどんどんシンプルになってる。




わたしに必要なものは何か?
必要ないと思ったらスパッと手放す。




身軽に、シンプルに

でもますます輝かしく

そんな自分に誇りをもって

毎日を過ごしたい







2015-06-20

One day come

プラクティスを実践する


淡々と実践する




すると 答えは向こうからやってくる






望む答えがやって来なくても


プラクティスを実践する




そうすれば いつか答えはやってくる








穏やかな毎日のために

健やかな毎日のために

わたしが自分の魂に正直でいられるように



プラクティスあるのみ





2015-06-15

Relax & Renew リストラティブヨガTT

4日間のリラックスアンドリニュー リストラティブヨガTTが終わった。

Relax & Renew(リラックスアンドリニュー)というのは、San Francisco 在住のJudis Laster 先生が考案されたリストラティブヨガで、テキストも出版されており、それは簡単にAmazonで手に入るので私も持っている。(ただしEnglishなので文章を読む気力のあるときとないときが・・・。あわわ。)

今回はそのJudis先生から直々にトレーニングを受け、Relax and Renew リストラティブヨガ認定トレーナーであるTakako先生の集中ティーチャートレーニングを受けていた。
ティーチャートレーニングなんだから当たり前なんだけれど、Takako先生は"教える"立場にとって何が必要なのか、重要なのかということにしっかりフォーカスしたトレーニングを考えてくださっていた。
しかも知識を教えるだけでなくて、
わたしたち受講者に

「考えさせる」「気付かせる」

というバランスが絶妙。

そして

愛があるからこそ、甘やかさない。

(↑わたし怒らないわよ~という先生の非難の声が聞こえてきそう・・・)



「教える」とか何かを「プレゼンテーションする」というとき、あれも伝えたい、これも伝えたいと準備段階からてんこ盛りになるもの。
それを適度な量にそぎ落とし、重要なポイントだけを残すってすごく難しい。

わたしは教育関連の機関で長く働いていたので、講師をお願いした方たちには、実にいろいろなタイプの方がいたことを思い出す。
みなさんもちろん、引き受けてくださったからには、事前の準備を欠かさず来てくださるのだけれど、伝えたいことが多すぎて時間を大幅にオーバーする方も多かったし、余談が長くて正直飽きちゃう・・・なんていうケースも大いにあった。

それは、普段は人に「教える」というスタンスで仕事をしていないから、慣れていないからツボがわからない、ということもあったと思う。
でも、「教える」ことを生業(なりわい)にしているからといって、教え方が必ずしもうまいとは限らないもの。むしろ「教える」ことに慣れきっている人は、受け手の反応は置いてけぼりで、勝手に話したいことだけ話すという人が多かったことも否めない・・・。



な・の・に!
なんと的確にツボに入る内容&ボリュームなんだ!スゲー。
ワタクシ、感服しておりました!



昨年のちょうど6月は、リザ先生のリストラティブ・ヨガTTを受けていた。
これまでわたしが数少ないながらも提供させてもらったリストラティブ・ヨガは、そのリザ先生のトレーニング内容を反映させている。
今回学んだリラックスアンドリニューは同じリストラティブ・ヨガだけど、ポーズの取り方やプロップスの使い方などは違う。
でもわたしは頭をリセットして、ニュートラルな状態から学んだつもり。
それぞれのパイオニアの先生たちの考え方や教え方、捉え方はきちんと理解して、誤解のないように伝えていきたいと思っている。



ポーズに入っている人に快適になってもらうために
いろんな工夫をすることには変わりないけどね!!!



リストラティブ・ヨガを提供する側は

深い観察力、洞察力

を養うことが大切なのだ。



現在会社員のわたしにとって、4日間ヨガのことだけをどっぷり考える時間が持てたということはとても貴重。(だいたいわたしの有給はヨガのWSやトレーニングのために使われる)
そうはいっても、集中して話を聞き、自分の中でなんとか内容を消化するのに、エネルギーがとても消費されるのも事実。
加えて連日の湿度の高さに、汗かきのわたしは毎日ダラダラと汗をかき、課題をこなすために冷や汗をしこたまかき、汗による体力消耗もハンパではなかった・・・。
でも一緒にトレーニングを受けた仲間たちに支えられ、どんだけ汗かいたかわからないけど、なんとか4日間終えることができた。


ヨガはいつも素敵な出会いを運んできてくれるなー。感謝。
わたしの大好物(←へんな意味じゃないよ)、若い、カワイイ、キュートなおともだちが増えてHappyなのよ~




あ、そういえば、トレーニング中、苦手な手仕事で作ったアイピロー(兼ハンドピロー)が大活躍。
クラスのために作りたさねば!!!








2015-06-07

「押し付け」ではなく、「促す」

情報番組を見ていたら、明らかに普段運動をしていなさそうな芸能人が最近流行してるスタイルのヨガを体験する企画をやっていた。

アサナに入る前、インストラクターが呼吸からガイドを始め、次々と身体のどこを意識するかを伝えていく・・・。
TVを見ながら、この時点でわたしはちょっとした違和感を感じていた。


・・・すると、体験している芸能人のひとりが

「ちょ、ちょっと待ってください!」

とインストラクションを遮り、

「情報量が多すぎてついていけないです。(インストラクターのガイドに)しがみつくのに必死で。文字量多すぎませんか?」

というようなことを言った。
彼は笑いをとるために言ったのかもしれないけど、実に的を射たコメントだった。


そう。
わたしが感じた違和感はまさしくそれ。


尾骨から頭頂まで一本の糸が通っているように、なんたらかんたら・・・
恥骨を引き上げ、なんたらかんたら・・・
お腹を背中の方へ引き寄せ、なんたらかんたら・・・


最初からそんなに一気に言っちゃう???
というインストラクションだったのだ。
TV収録だから、時間が限られていて急いだのかもしれない。
でも、これ、普段ヨガやらない人には理解できないし、頭の中に「?」ばかりが浮かんで逆に集中できないんじゃないかなあ?
何年やっても自分の身体にきちんと意識を向けるのは難しいものだもん。


アシュタンガは基本、あれこれとガイドをされないから、アシュタンガ以外のヨガクラスを受けるといつも、しつこいな〜と思ってしまう。
同じ動きを繰り返していく中でフォーカスすることを少しずつ増やしていくならわかるんだけど、最初からガイドで飛ばしていくタイプのインストラクターにはどうしても馴染めない。
そんなにいろいろガイドしないといけないものなのかな?と感じてしまう。
なんだか、インストラクターのエゴを押し付けられているような不快感を感じてしまう。


呼吸、ドリシュティ、バンダにフォーカスしていくアシュタンガは、常に自分の内側と対話して、自分で探っていく。
アサナの中でフォーカスすべきことは、インストラクターのアジャストで気付く。
そういう意味でとても静かなスタイルだ。


まあヨガスタイルなんて、合うか合わないかとか好みの問題だから、いくらわたしがアシュタンガヨガは素晴らしいと言ったところで、やりたくないという人だっているわけで。
わたしもほかのスタイルのインストラクションに馴染めないのはそれと同じだ。

でもわたしは、自分がなかなか掴みづらかった身体の細部の感覚を、耳からの文字情報じゃなくて、「さあ、感じて!さあ、感じて!」って無理やり押し付けるやり方じゃなくて、さりげなく気付かせることができる、伝えられるひとになりたいなあと思う。




2015-06-06

ミナカケル

会期終了間際の「ミナカケル」をオットと見に行った。





感動!!





の一言につきる。



正直、ファッションのことはよくわからない。
洋服として素晴らしいかどうかとか、ファッションブランドとしてどうかとか、そんなことはわたしにはどうでもいい。

ただただ、ものすごく強い信念みたいなものとか、何かを生み出す力の偉大さに、ココロを激しく揺さぶられた。
これは「テキスタイル」という手段の「アート」だと思った。
ある意味、挑戦的で、でも根底に何か哲学的な匂いを感じるようでもある。



かつて、オットが今までのミナペルホネンの展示会で最も感動したというテキスタイル。
一見、絵(プリント)のようだけど、ジャカード織なのだそう。
実現させてしまう技術者の方々にも驚かされる。

わたしが「哲学的」と思うのは、こうしたデザインの緻密さや、もしかすると、ぱっと閃いてこういうデザインを描いたのではなくて、ひとつひとつのオブジェクトやそのレイアウトにすごい意味が込められているかもしれないと思ってしまうから。本当のところはわかんないけど。




こういうのも、めっちゃゼンタングルっぽい。頭の中は瞑想状態で、手だけが走ってるとか、わたしの勝手な印象。


どれもこれも、その裏(=製作)側にある様々なストーリーを彷彿とさせるものばかりだった。




どうでもいいが、久しぶりの都内(青山)、オットとデート(うてな抜き)も楽しかった。




2015-06-02

YOGAすればいいのに

やたらとトゲトゲするひと、いるよね。

特に女性に多いね。




え?そんな言い方しなくても?わたし何も悪いことしてないし。

みたいな態度とられたり。




すごくイヤな気分になるし、あとでそういう人のこと、悪口のひとつも言いたくなるんだけど。



他人の気分に自分の感情を振り回されるのはイヤなので、モヤモヤとする気持ちを

ぷるぷるっと水しぶきを払うように



アカン、アカン。

わたしは影響されない。


って振り落とさないと。




オットの職場は女性が多いので、トゲトゲだらけのひとがたくさんいるらしい。
(もちろん、それはオット談であって、ほかの男性社員がどう思っているのかはさだかではない。)
オット自身、とても短気なため、ムカっとくれば表情も怖くなる。
するとまた周囲の女性から疎まれ、ひどい態度を取られるらしい。



そんな話を聞くたびに、



「そういう(トゲトゲした)ひとたちはさー、YOGAすればいいのに」



って思っちゃう。
あらゆるトゲトゲを出すことにエネルギー消費するなんて、もったいない。

なんか必死にスーハースーハー呼吸してさ
身体動かして汗かいたら
スッキリするのに。


毎日練習してたら



練習に比べたら、こんなことくらい、たいしたことねーな



って思えることも増えてくるのにね。

あ、いや、楽しんで練習してるけどね・・・(汗)

アシュタンガのプラクティスは、どうにかしようたって、どうにかできないこともいっぱいあるし、焦る気持ちや、強い憧れに支配されることもあるけど、あるもので折り合いつけていくしか、ないんだもん。
取るに足らない些細なことに気を取られているなら、ピンチャの練習でもしてるほうがいいさ。



でもトゲトゲのひとたちは、YOGAするってことに興味持たないだろーなー。
ああ、この快感を教えてあげたい・・・。ウズウズ。



2015-05-30

What an adorable dog!

ドライブのとき、外を見たがるワンコが多いのはなぜ?


風に煽られ、大きなお耳をなびかせながら、何を思って外を見てるのかな?






疲れてぐっすり眠っているとき、


短いおてて(正確には脚だけど)が「うぃっしゅ!」になってることが多いんだけど





めずらしく両手が揃ってたよ。カワイイ~。




”adorable”をweblioでチェックしたら、ページの下の方に

adorable!=カワユス

って書いてあった・・・


う、うん、わかりやすくてイイネ・・・。







2015-05-25

シンギングボウル

朝練をさせてもらっているスタジオに、ある時からシンギングボウルがお目見えした。
グルジの写真の下に鎮座するシンギングボウル。
その倍音を聞くと、


宇宙からきた音


と思ってしまう。宇宙に音があるのかどうかもしらないけど。
意図して出せる響きじゃなくて、大きくなったり小さくなったり、その拡がりは一定であるようで一定でもない。ちょっと日常と切り離される感がある。



スタジオで触ったり鳴らしたりさせてもらったら、どんどん欲しくなってきて・・・(笑)




買ってしまいました。
しかも、初めて購入するものとしては十分すぎる上質なものだと思う。
それだけにシンギングボウルの扱いに不慣れなわたしでも、いきなりリミングできる。
手のひらにぐわんぐわん広がる倍音の心地よさにうっとり。





早速、リストラティブ・ヨガクラスで使ってみるのだ!



2015-05-23

ココロが軽くなるブログ

最近お気に入りのブログは武田双雲さんのブログ

ひまつぶしに入った本屋で彼の本をパラパラと見たとき、あまりに意外で驚いた。


「素晴らしい字を書く人」
とは思っていた。でもかつて、女性に大人気な書道家、みたいな扱いでメディアに騒がれていたから、いい気になってるチャラいかんじのひとなのかと勝手にイメージしてた。
ぜんぜんちがうのね・・・。



文章は軽いタッチだけど、本やブログで語られていること、どれも、


うぅぅぅむ・・・いいこと言うなあ・・・


と唸ってしまう。
自然体だけど哲学的。



わたしより若いんだよね、でもこんなふうに発想の転換できちゃうんだ。

こういう風に捉えるといいんだ。



みたいなことが、毎日てんこ盛りで、ちょっとココロが軽くなる。
彼のブログ読んでると


「書」もヨガなんじゃない!?


と思う。



人生残りの半分(←半分以下であってほしい。切に願う。)は、お気楽に生きていきたいから、日々、参考にさせていただきます(笑)。




2015-04-26

小物製作

手仕事は苦手。

面倒くさいから好きじゃない。

でもアイピローを手作りしたくて、休日の午後、ちくちく、ちくちく、縫い続けた。
(当然我が家にミシンはなく、必然的に手縫い)

縫い目もガッタガタでひどい出来栄えだけど、何枚も縫い続けるうちに、メヘンディと一緒でなんか没頭していくんだよね。

集中してるとき、
没頭してるとき、
とても心地がいい

たぶん、わたしの脳内にα波がでてるんじゃないかな?


手仕事は苦手だから、ときどき指に針がブスッてなって、我にかえるんだけど。



とりあえず完成したのはこれだけ〜。
フラックスシードとラベンダー、ローマンカモミール入り。いい匂い!
ちなみに材料は8個分くらいあるのだ。



以前作ったやつ。
中身はヒマラヤ水晶さざれチップ。透明度も高くてキレイなの。
こちらはアイピローというよりは、リストラティブ・ヨガで手の力を抜くため、サンドバック的に使うためのものとして作ってみたもの。



ほれぼれするくらい美しいさざれ石が入っているのだ!



2015-04-25

曇った目には映らない真実

狂犬病注射のために動物病院に行ったら、生後90日程度というパピーを連れたご夫婦が先約でいた。60代くらいかなあ?
ふたりとも、それはそれはパピーちゃんがかわいくてたまらないという様子で、なんかココロがあったかくなった。



つい先日、古いノートというか、メモ帳を見返していたら、うてなを飼い始めた頃のわたしの苦悩(苦笑)がいろいろ綴られていた。

なんであんなに自分を追い込んでたのかなあ?

とにかく、うてなの全幅の信頼を得たいと、日々願ってた。
たぶん、うてなは最初からわたしをちゃーんと信頼してたと思うけど・・・、曇ったわたしの目には、それがわからなかったのね。



あんなに悩んだ割には、ちゃんと躾もできてなくて、わたしはうてなのちゃんとしたリーダーではないのだけれど、今はうてなにとってわたしがとても重要な存在だということが、うてなのわたしに対する態度でわかる。
わたしにとっても、うてなはこの世で一番愛おしい存在。


そんなにママが好きなの?
そんなにママのことだけ見てるの?


願っていることって、実はすでにもう現実のことになっていて、でもそれに気づいていないのは自分だけ・・・みたいなことって、実はたくさんあるんだろうなあ。
わたしの場合は、そういう思い込みが特に多い気がする。

"すでに持っているものに感謝する"

を常に思い出さなきゃ。



2015-04-23

目と目で通じ合う~♪

工藤静香の歌であったな~。(←MUGO・ん・・色っぽい)



最近、こんなトピックスを目にした。


人と犬が見つめ合うと双方に安心ホルモンが増加すると判明


ほほー。

わたしとうてなちゃんが見つめ合う度に、双方に幸せホルモン(オキシトシン)がどばぁ~っと放出されているらしい!
愛犬に見つめられたら、もうそれだけでグダグダの骨抜き状態なんだけど、愛犬のオキシトシンもどばぁ~っなんだと思ったら、もっと愛おしくなってしまうではないか!!!



・・・で、このトピックスを読んでから、うてなといちゃいちゃするたびに「うてなちゃんとママ、幸せ物質どばぁ~っ!」とか語りかけてる今日この頃。







2015-04-22

Yogaと赤ちゃんと前進

今朝の朝練が終わりかける頃、赤ちゃん連れのアシュタンギーニが2組やってきた。
ようやく1歳になろうかという女の子と、半年くらいの男の子。
ママはマットの横にコロンと赤ちゃんを寝かせて練習開始。
赤ちゃんは思い思いに動いたり、じっと何かを凝視したり。
赤ちゃんが動くたびに、先生とママたちの間で「おおっ!すごいね、ダウンドック!」「あ、サマスティティヒだね」みたいな会話が交わされて、なんともYogini独特の表現に自然と頬が緩む。


妊娠しても、子供が生まれても、変わらず練習できるっていいなあ。
お腹の赤ちゃんと一緒に呼吸するのも楽しそうだし、同じ空間で自分の好きなことを赤ちゃんと一緒に共有しているのが、なんだかとても微笑ましい。


生まれた時からYogaが日常にある生活って、その子にとってどんなかんじなんだろう?
ひとりのママは、子供の添い寝のとき、ウジャイ呼吸するとすぐ寝てくれるって言ってた。さざ波のような音がね、きっと落ち着くんだね。そんなことを発見できるのも、Yoginiとしてはちょっぴりうらやましいような。



自分の生き方に後悔はないけど、中身がいまのわたしで、あと10年若かったら子供がいてもよかったかなあ、、、なんて、一瞬、思ったりする。



わたしの世界観が狭かったこともあるだろうけど、そう思えるだけ、自分のことが受け入れられるようになったということか・・・。
よしよし、わたし。
前進。前進。



2015-04-05

乳がんフレンズ リカバーのためのヨガ勉強会

乳がん体験者にヨガを指導するための勉強会に参加した。
勉強会を主催したT先生はご自身も乳がん体験者で、術後ようやく1年経つか・・・といった状況であるにも関わらず、自身の身体の状態の変化や心境をまっすぐに語ってくださって、乳がんを経験した方がクラスにいる場合の指導者の在り方を参加者全員で共有したり、探ったりした。


同じ体験者であってもひとりひとり違う体調、状況、環境。
特にT先生がヨガインストラクターとして身をもって体験されたことは、何より貴重な知識になった。
術後、どれくらい痛いのか?どんな風に手が動かないのか?何ができたのか?どの程度まで動かしていいのか?
同じ乳がん体験者であってもわたしはリハビリを必要としなかったので、そういったお話がとても参考になった。


クラスの最後に、先生が普段やっているリハビリを含めたシークエンスを全員で体験した。
みなさんからは「こんなに動いていいんですね」という感想が出たし、わたしもそう思った。
以前受けたTTでは、指導者として絶対に無理はさせてはいけないことが強調されていたし、どちらかといえば”身体を労わる”ことに、よりフォーカスされていた印象があった。
そのため、腕はかばわなければいけない、身体が弱っているから立ちポーズは入れない方がいいかもしれない、となんとなく思ってしまっていた。
もちろん、無理をさせてはいけないのは大前提だけれど、普通にできるアサナをたくさん取り入れて気持ち良く動いていくことのほうがわたしにはしっくりくる。
いろんな状況の人がいても、腕の動きに少しずつ可動域を大きくするようなオプションを入れていくことで対処できるし、まったくもって元気な下半身はしっかり使っていくべき!(むしろ、病気があってもなくても下半身は鍛えておかないと。)



ヨガは医療行為ではないけれど、医療を補完する手段のひとつとしてはとても有効だと、わたしは実感している。
わたしはヨガがなければ、現実を受け止めきれなかったと思うし、ヨガがあったから、それを糧に普通の生活ができた。


「ヨガ」と「Fitnessや健康体操」は違う


ということについてもグループで意見交換をしたけれど、ただ戯れに身体を動かすのではなく、わたしが伝えたいのが「ヨガ」であることの意味をしっかり捉えつつ、クラスを作っていきたいと思った。




2015-03-20

Birthdayに思うこと

バタバタと誕生日を迎えた。
新月、日食、そして翌春分の日は占星術では始まりのタイミング。
自分の棚卸をして、また次のステージ(気持ちの上でも、年代のステージという意味でも)への準備をするタイミングなんだろう。
世間では今日が卒業式という学校も多いんだろうな。


Mehndi仲間のミーシャさんのブログで書かれていた「新月レポート」の内容が、宇宙から「ワタシ」というものが見透かされているような(ちょっと大げさだけど)気がした。特に
成果のための努力はしない(結果のための行いではなく、やっていることを楽しめるか?)
これってすごく大事なことなのに、忘れがちじゃない?
つい先日、無駄なパワーを使うのはやめようと思ったことにもつながってる。
無邪気な子供のように純粋な自分のあり方
”こう見られたい自分”に縛られていやしないか?
”わたしがこうありたい”が大切。他人軸じゃない、自分軸


自分軸といえば・・・
何年も同じ(Yogaの)練習をしているのに、”中心に集める”意識がまちまちなわたし。
ウッティタ・ハスタ・パタングシュタがいまだに苦手なのも、もちろん足・脚の使い方に問題があることもあるけど、軸ができてないのだ。中心に集められていない。
やっぱりココロとカラダは関係してるのかなあ。



・・・でももう、自分にバッテン(×)つけないよ。”集められてない”っていう事実だけを捉えよう。
○○だからダメ、ああ、また○○だ・・・って、今までたくさん、自分のハートにカミソリの刃をあてるようなことばかりしてきたから。
残りの人生はもっとココロが自由でありたい。




2015-03-08

緩ませていただきました

久しぶりに密度の濃い、充実した週末を過ごした。
マイソールクラスでフルプライマリーを練習して、WS受けて、仲間とおいしいランチに舌鼓を打って。
すごく久しぶりに会う仲間とも会えて近況を報告しあったりして、会えなくてもそれぞれどこかで自分なりの練習をしていて、YOGAを通して繋がってるのがうれしい。



1日目WSの後、先生をはじめ、ほぼ全員の人にリストラティブヨガのほんの1ポーズだけ体験してもらえる機会があった。
ボルスターや特製まくら←Shantiでは"王様まくら"と呼んでる(笑)を使えた人は、よりリラックスしてもらえたんじゃないかなあ?
一通り体勢が整った後、部屋を出てしばらく皆さんを放置していたんだけど(笑)、誰ひとりとして、起きてくる人がいなかった。



先生は起きるなり、目をこすりながらひとこと。



ヤバイ・・・



はい、ヤバイ、いただきました~!!!
ヤバイんですよ、リストラティブ。知らないうちになんかとおーーーーいところに行ってる。
でも目覚めると(ポーズから出ると)、なんかスッキリしてるという、不思議な感覚。


2日目。早朝から指導、夜遅くまでランチのための準備をしてくれていた先生たち2人に、お疲れ様のねぎらいと感謝の気持ちを込めて、再度リストラティブヨガに身を委ねてもらった。


ふたりとも開始早々に、静寂の中、意識はどこか遠くに旅立ってしまったかのよう・・・。
そこにあるのは、なんだか"空っぽの肉体"というかんじだった。


そしてこの日も目覚めると、ふたりとも開口一番



ヤバイ・・・ ヤバイ・・・ ヤバイ・・・



連呼してる。
あざーす!2回目のヤバイ、いただきました~!!
「40分くらい休んでたんですよー」と言うと、これまたふたりとも口を揃えて



「ええっ!!?そんな長い時間!?」



ポーズに入っている本人たちにとってはほんの10分、15分くらいの感覚なのね。
緩んでもらえてヨカッタ!!!



帰宅すると、2日間家を空けっぱなしのわたしとは対照的に、珍しく2日間とも仕事に行かなかったオットが、「アレ、やる気ない?アレ」とうれしそうに言う。
休日なのにご飯も作らなかったし(物理的に作れなかった)、罪滅ぼしの意味もこめて、オットにもリストラティブヨガに身を委ねてもらった。


この2日間を通して感じたのは、どうやらたいていの人は、"王様のまくら"を作った途端、スイッチが切れるらしい・・・。
オットがうわごとのように


「水の上に浮いてるみたい・・・」

「オレにはそんな記憶はないんだけどさ・・・、きっと生まれる前、お腹の中にいる時ってこんな感覚なんじゃないかな・・・」


・・・と言って、どこか遠くへ行ってしまった(笑)。
ティンシャで目覚めさせた後、「30分以上休んでたねー」と言うと、


「ええっ!?そんな時間経ってんの!?10分くらいじゃないの!?いや、イッテQが始まってからTV消して・・・今何時だ? ええっ!?ほんとだすげー時間経ってる!!!」


と、先生たちとまったく同じ反応だったのが、内心おかしかった。


さらにひとりひとりの状態に寄り添えるスキルを磨きたいし、いろんな人に体験してもらいたいなあ。