2014-12-10

身体のいいなり

家の近所にはいい本屋さんがないので、たまに都内のおおきな本屋に行くと、ワクワクする。
最近、立て続けに2軒の本屋へ行く機会があった。
1件目は丸の内KITTE内にあるブックカフェ。
ここはカテゴリーが面白くて、小説もエッセイも雑誌も専門書もいっしょくたにトピックスごとに集められている。しかも、そのトピックスに関連した雑貨まで並べられている。
ブックカフェだから、気になる本があればカフェに持ち込んでじっくり読んでもいい。
なんてステキ☆

そこへ行ったのは2回目だけど、以前も足を止めて読みふけったのは、身体に関する本。
整体に関するものとかが気になって、ついつい読んでしまう。
で、前回も今回も無意識に手にとって読んでしまったのが


「身体のいいなり」内澤旬子


内澤さんは38歳で乳がん宣告を受けている。
しかも、子供の頃から原因不明の体調不良にずっと悩まされ続けた人でもある。
眠りが浅くて、なんとかして眠りたいと藁にもすがる思いで始めたのがヨガだという。
ヨガをするとぐっすり眠れるので、病み付きになったらしい。



ああ!わたしみたいなひとがいた。



・・・という共通点に惹かれ、2度とも手にとってしまった。
2度手にするということは、買って読んだほうがいいなと思って買ってみた。
わたしは極端なこわがりなので、他人の闘病記とかをじっくり読むことができない。
もし自分だったら、と想像するだけでわけのわからない不安に押しつぶされそうになるから。
内澤さんがこの本で書いているのはいわゆる「健気な闘病記」ではない。だからわたしにも読めた。
でも悲壮感はまったく漂っていないのに、読み終わった後なぜか涙が出た。
結局、自分の病気は自分が全責任を負わないといけない。どの病院を、どの医師を、どの治療方法を選ぶのか?あらゆる段階で、いろいろと自分の中で折り合いをつけていかないといけない。それはとても精神が疲弊する作業なのだ。それを思い出したからなのか?わたしなんかよりもっともっとたくさんの選択を強いられた内澤さんの強さをすごいと思ったからなのか?何の涙なのかはわからない。



内澤さんは当時、配偶者がいた。でも夫婦独立採算制なので、彼女が病気になっても生活のことで配偶者が手を差し伸べてくれるわけでもなく、かなり苦しい生活をしていたらしい。そんな中での度重なる入院、手術。退院時、配偶者の前で病院のATMからなけなしのお金を下ろし、費用を払ったこともあるとか。
彼女は自分が書き起こしたそのくだりを見て、ぱちんと頭の中で弾ける音がしたとあとがきで書いている。配偶者との間でもやもやとしていたことが何だったのかが、その一文で明確になったらしい。そして配偶者と離婚している。



・・・あれ?なんだかこの状況似てるなと、ふと思ってしまった。

我が家は完全独立採算制ではないにせよ、ほぼ独立採算制。
病気になったからといって、万が一アナタが働けなくなるくらい大丈夫だよと言われたこともないし、当然、病院にかかる費用はすべて自分の口座から支払った。
費用は大丈夫なのか?とか、入院や手術にいくらかかるのか?ということについて、聞かれたことも心配されたこともない。

それより以前、子宮頸の手術の時には夫は一切、非協力的だった。わたしの入院や手術に関する段取りについてもまったく興味を示さないどころか、手術当日や退院時に病院にきてほしいとお願いするわたしに、つまらないことにケチをつけてイライラをぶつけてきたりした。
さすがにその時は「わたしの身体のことは心配じゃないんだ?」と怒りとも悲しみともいえない気持でいっぱいになったこともある。

その時に比べれば、乳がんの場合は「がん」という言葉の重さのせいか?自宅近くの病院に入院したからか?入院中、夫はほぼ毎日顔を出してくれたし、少なくとも手術が終わるまでの間は心配はしてくれていたと思う。
でも喉元過ぎればなんとやら。退院後すぐ、普通に元気に仕事に行っていれば、その後の体調について心配されたことはほとんどないに等しい。定期健診の頻度やその結果を聞かれることもない。

だからといって夫の愛情を感じていないというわけでもないし、むしろわたし自身は精神面では夫を頼りにしてはいるんだけど。
でもやっぱり、自分のことは全部、自分の中で収めないといけないという戒めみたいなものは持っている。期待してもそれ以上のものはかえってこないなとあきらめているというかんじなのかな・・・(苦笑)