2015-07-09

学校という名の檻

いじめを苦に自殺 という事件を聞くたびに、いたたまれない気持ちになる。
いつの時代になっても解決しないんだね。

学校という場所は、閉鎖的で特殊な場所だと、中高生の頃から思ってた。一度入ると逃げ場のない冷たい檻。
自分の年代をベースにした話だけど、公立学校の場合、何かが抜きんでているとか、特殊であるとか、何かほかと違うということはNGだ。
生徒たちは画一的であることを好む。

中高生の頃、一瞬たりとも楽しい時間がなかったわけではない。それなりに楽しい時間もあった。でもわたしにとっては本当に牢獄のようだった。先生たちは教育者ではなく、ただの看守だ。
時に理不尽とも思える規則で縛り、檻の中のこどもたちが間違いを犯さず、おとなしく席に座り、本を開き、話をきくことだけに注力している。
問題を解決しようとは思っていない。自分にふりかからないように息をひそめているか、生徒になすりつけるか。(少なくともわたしのまわりの先生たちはそうだった)

イジメは先生に相談したところで解決なんてしない。
とんちんかんな対応をされるだけだ。
思い切って学校かわるとか、海外留学しちゃうとか、それくらいのことをしないかぎり、イジメを受けた本人のココロだって立ち直りはしない。


わたしの場合、幸いなことに暴力はなかった。なかには複数人から殴る蹴るの暴力受けてる子もいたからね、女子同士のイジメであっても。
でも自分に向けられる人格否定の言葉は辛かった。
イジメをするほうが悪いと思うのだけど、あることないこと言われる誹謗中傷というより、薄々自分でも気付いてる短所を汚い表現で罵られるのでこの上なくツライ。わたしのせいなのね、わたしが悪いのね、ということにすり替えられてしまう。

成績はいいけど、チビでブスで(小3からメガネ&歯列矯正)自信がなくていつも内心ビクビクしてる様子が、ハタから見てイライラさせる格好の材料だったこともあると思う。加えてわたしがちょっと難しい言葉を使ったり、雑談の中で軽く「バカだね〜」って言ったりすることが、成績がよろしくなかった子たちには、今の言葉で表現すれば、上から目線っぽいというのか、すごくバカにされているように感じてもいたらしい。
わたしをはじめ何人もの子を次々とイジメの対象にしていた主犯格の女の子は、自信過剰で、見た目はキレイな女の子だった。
ちょっと不良っぽい男の子のことを好きだと言ってたわたしに、アンタ、自分の顔見たことあんの?ブスが◯◯くんのこと好きだなんて、よく言えるね?バッカじゃねえの?と高笑いされた。
そしたらわたしの中では、わたしみたいなのに好かれた◯◯くんも迷惑なはなしだよね。ごめんなさい。という自己反省というか自己否定に発展してしまう。
これはその後何年も、こんなわたしを好きになってくれる人なんていないんだという呪縛になって、そこから逃れられなかった。

だから、ブスでいじめられ続けた人生を、整形してやり直したいんです!って泣いて訴えたりする某TV番組に出る人の気持ちもよくわかる。
どんなに性格が悪くても、頭が悪くても、顔が良ければそんなマイナス面は棒引きされちゃうんだよ、若い時は。
だから母に、頭なんて良くなくていいから、キレイに生まれたかったと訴えたこともある。

わたしの親はそれなりに厳しくて、おこづかいも少なかったから、なかなか学校帰りの買い食いもできなかったし、一緒に遊びに行っても、わたしはコレ買わない、とか、やめとく、というのが多くなる。するとアイツ、どケチなんだよ、一度使った生理ナプキンだって裏返してつかってんじゃねえ?まで言われてた。


イジメが原因で自殺した子たちとわたしが違うのは、平気な顔をして家に帰れなかったこと。
べそべそと泣きながら家に帰れば、どうしたの?ってことになり、わたしがいじめられてた事実を母は知っていたし、知らない間に学校へ行って先生にも話をしてくれた。
そのとき先生は、たぶん、アイツらに何か言ったところでイジメは収まりませんよ。と母に言ったらしい。母は憤っていたけど、わたしは先生がそう言うのもわかるなと内心思ってた。
先生が諭したところで、その場はしおらしく泣いて「もうしません。反省してます。」って言いながら、心の中で舌を出すくらいの相手だということはわかっていた。
世の中には、悪意のカタマリみたいな人が存在するんだと、これは絶対修正不可能なんだと、その頃から感じていた。


だからこれはあくまでわたし個人の意見だけど、イジメで限界を感じている人は、親に心配かけたくないとか思わずに、その檻の中から出してもらう手段を考えてもらったほうがいいと思う。
今の時代、学校に通わないという選択肢だってありじゃないか。