2015-07-28

祝! 6ヶ月!

スタジオでのマイソール練習を始めて、昨日でちょうど6ヶ月。
今日はサクサクっとフルプライマリー終わらせて、カムダウン!
今後はどんどん練習していくんだ~。カムダウン。(←え?今さらかよ?って思ってもさらっと流して~)
いつも練習が一緒になるMさんは、スタジオ練習始めて(というよりアシュタンガを始めて?なのかな?)ちょうど1年なんだそうだ。
彼女は国際的で社会的に意義のあるお仕事をしている上に、二人のお子さんの世話をしながら早朝練習にやってくる。練習を始めて間もない人ほど、いろんな意味での進歩が目覚ましくて、ちょっとうらやましくもある。


練習を始めた頃と現在とでは、やはり違うなあと日々感じる。
修正してもらってやりやすくなったアサナもあるし、多少なりとも柔軟性があがり、安定感も出てきて、動きやすさがぜんぜん違っている気がする。
相変わらず、痛みと共存はしているけど。


ここ最近、シルシャサナが気持ち良い。
なんかね、足を上げきると、びたっとおさまる感があるんだなあ。
今まではどこか力が入っていたようで、なんかつらい感じがあった。
ようやく身体がわかってくれたのかな~?
時間がなくてフィニッシングを3パドマだけやるときでも、シルシャサナだけはやっとこ、みたいなかんじ(笑)。



ある日のマイソール練習
(スタジオのブログから拝借しました<m(__)m>)
暑いんで、先生を含め、早朝組はみんな短パン^m^







2015-07-25

プライベートな勉強会☆

WSで隣同士だったことがご縁で繋がったYさん。
住んでいる地域も全然違うし、関わっているヨガのスタイルも違うので、WS後はなかなかリアルな接点に至りませんでした。

でもYさんはとーーーってもそういうご縁を広げるのが上手な方で、今日はYさんが自主的に開催している勉強会(もちろんヨガのね)に参加する機会に恵まれました!
しかも、なんと、初参加のくせに、参加者の方にわたしがミニレッスンをするという・・・。
で、リストラティブ・ヨガのミニレッスンをさせてもらいました。

Yさん宅をお借りしての勉強会なので、ボルスターなしのリストラティブ・ヨガ。どうしたらリストラティブ・ヨガの良さを感じてもらえるかなあとわたしなりに工夫しました。
ブランケットやタオルをふんだんにお借りして、身体の隙間をつめつめ。
30分のつもりが結果、50分のレッスンとなりました。
王様まくらは大好評~♪るんるん。


レッスンのあとはYさんの手料理をいただきながら、ヨガ談義に花を咲かせ、お互いの疑問を聞きあったり、情報をシェアしたり。ヨガ談、楽しくていつも時間を忘れちゃう。
こうやって自宅を開放して、会を呼びかけたり、お世話をしたり、Yさんの行動力には脱帽~。
やっぱり何でも「やってみなはれ」の精神でね、まずは行動することが大事ね。



しかし、ヨガのこととなると、1度知り合ったらみんなお友だち、みたいな気分になってしまう自分にも今更ながら驚くなあ。
会うの2回目なのにご自宅にお邪魔してレッスンやっちゃう?みたいな(笑)。
でも本当にこんないい機会をいただいて、またヨガ仲間が広がって、大満足の一日でした!





ところで、横浜までの車中(ラクはカネで買いグリーン車)、気になるキャラをハケーン!!!

意識谷(いしきだに)高子(たかこ) by 柳原可奈子


雑誌とかメディアに出てくるヨガイントラってこんなイメージ!髪型とか、メイクとか、ね。
かなりデフォルメされてるとは思うけど、世間のヨガやってる女子のイメージってこんなじゃ???
さすが、柳原可奈子ちゃん、ウマイわ~。




2015-07-09

学校という名の檻

いじめを苦に自殺 という事件を聞くたびに、いたたまれない気持ちになる。
いつの時代になっても解決しないんだね。

学校という場所は、閉鎖的で特殊な場所だと、中高生の頃から思ってた。一度入ると逃げ場のない冷たい檻。
自分の年代をベースにした話だけど、公立学校の場合、何かが抜きんでているとか、特殊であるとか、何かほかと違うということはNGだ。
生徒たちは画一的であることを好む。

中高生の頃、一瞬たりとも楽しい時間がなかったわけではない。それなりに楽しい時間もあった。でもわたしにとっては本当に牢獄のようだった。先生たちは教育者ではなく、ただの看守だ。
時に理不尽とも思える規則で縛り、檻の中のこどもたちが間違いを犯さず、おとなしく席に座り、本を開き、話をきくことだけに注力している。
問題を解決しようとは思っていない。自分にふりかからないように息をひそめているか、生徒になすりつけるか。(少なくともわたしのまわりの先生たちはそうだった)

イジメは先生に相談したところで解決なんてしない。
とんちんかんな対応をされるだけだ。
思い切って学校かわるとか、海外留学しちゃうとか、それくらいのことをしないかぎり、イジメを受けた本人のココロだって立ち直りはしない。


わたしの場合、幸いなことに暴力はなかった。なかには複数人から殴る蹴るの暴力受けてる子もいたからね、女子同士のイジメであっても。
でも自分に向けられる人格否定の言葉は辛かった。
イジメをするほうが悪いと思うのだけど、あることないこと言われる誹謗中傷というより、薄々自分でも気付いてる短所を汚い表現で罵られるのでこの上なくツライ。わたしのせいなのね、わたしが悪いのね、ということにすり替えられてしまう。

成績はいいけど、チビでブスで(小3からメガネ&歯列矯正)自信がなくていつも内心ビクビクしてる様子が、ハタから見てイライラさせる格好の材料だったこともあると思う。加えてわたしがちょっと難しい言葉を使ったり、雑談の中で軽く「バカだね〜」って言ったりすることが、成績がよろしくなかった子たちには、今の言葉で表現すれば、上から目線っぽいというのか、すごくバカにされているように感じてもいたらしい。
わたしをはじめ何人もの子を次々とイジメの対象にしていた主犯格の女の子は、自信過剰で、見た目はキレイな女の子だった。
ちょっと不良っぽい男の子のことを好きだと言ってたわたしに、アンタ、自分の顔見たことあんの?ブスが◯◯くんのこと好きだなんて、よく言えるね?バッカじゃねえの?と高笑いされた。
そしたらわたしの中では、わたしみたいなのに好かれた◯◯くんも迷惑なはなしだよね。ごめんなさい。という自己反省というか自己否定に発展してしまう。
これはその後何年も、こんなわたしを好きになってくれる人なんていないんだという呪縛になって、そこから逃れられなかった。

だから、ブスでいじめられ続けた人生を、整形してやり直したいんです!って泣いて訴えたりする某TV番組に出る人の気持ちもよくわかる。
どんなに性格が悪くても、頭が悪くても、顔が良ければそんなマイナス面は棒引きされちゃうんだよ、若い時は。
だから母に、頭なんて良くなくていいから、キレイに生まれたかったと訴えたこともある。

わたしの親はそれなりに厳しくて、おこづかいも少なかったから、なかなか学校帰りの買い食いもできなかったし、一緒に遊びに行っても、わたしはコレ買わない、とか、やめとく、というのが多くなる。するとアイツ、どケチなんだよ、一度使った生理ナプキンだって裏返してつかってんじゃねえ?まで言われてた。


イジメが原因で自殺した子たちとわたしが違うのは、平気な顔をして家に帰れなかったこと。
べそべそと泣きながら家に帰れば、どうしたの?ってことになり、わたしがいじめられてた事実を母は知っていたし、知らない間に学校へ行って先生にも話をしてくれた。
そのとき先生は、たぶん、アイツらに何か言ったところでイジメは収まりませんよ。と母に言ったらしい。母は憤っていたけど、わたしは先生がそう言うのもわかるなと内心思ってた。
先生が諭したところで、その場はしおらしく泣いて「もうしません。反省してます。」って言いながら、心の中で舌を出すくらいの相手だということはわかっていた。
世の中には、悪意のカタマリみたいな人が存在するんだと、これは絶対修正不可能なんだと、その頃から感じていた。


だからこれはあくまでわたし個人の意見だけど、イジメで限界を感じている人は、親に心配かけたくないとか思わずに、その檻の中から出してもらう手段を考えてもらったほうがいいと思う。
今の時代、学校に通わないという選択肢だってありじゃないか。


2015-07-08

ある日の気付き

ある朝、朝練のときに先生と雑談していたら、先生が笑いながら

やすえさんは自分のカラダに厳しいねえ。

と言った。

まだまだ、っていつも言うけど、現状維持じゃダメなの?
呼吸も深いしアサナだってキレイだし、
全然、そのままでもいいんじゃない?

って。


ココロのなかで思った。
あ、やっぱりそう感じるんだー。
そう、わたしはどうしても自分に厳しい。
自分に厳しいのか?
自分を常に過小評価しがちなのか?
自己評価が低いのか?
それら全部か、、、。
自分で限界を作らないようにしようと
思ってるのに、
ここまで到達しなければ、納得できなければ
次へ進めない、というような線を
常に引いてる



え?やっぱり厳しすぎますかね?
エヘヘ。
現状維持でいいですかね?
エヘヘ。
じゃあ現状維持で、いきます!


と先生と笑いあった。
たまたまの、そんな会話だけど、後になって気付かされた。




ああ、そっかあ。



わたしはそんな自分との折り合い方というか、中庸、を学ぶためにアシュタンガと出会ったんだ。
自分の思考のクセに自分で気付いて、そこから抜け出して、もっと生きやすくなるために、アシュタンガと出会ったんだ。



たぶん、ね。



2015-07-05

オンナに必要なのは賞賛

今日はアーティストとして尊敬&憧れているステキな女性と一室に籠り、濃密な時間を過ごしました。



どんな濃密さかって、、、



マッパ



わたしだけが、ね(笑)

ちなみに罰ゲームではありません。




一緒に過ごした4時間あまりの間に、もはや自分が全裸ということをほぼ忘れていました。


正直、勇気いります。全裸。
若くてピチピチの頃、


”クラシックコカコーラのボトルみたい”


と言われたスリムなボディラインは、もはや影をなし、、、
こんなカラダを差し出してスミマセン的なorz。


でも素晴らしいセンスのアーティストである彼女は、喜々として(・・・たぶん)作品に仕立て上げてくれました。

黙っていれば、わたしとはわからないボディ。
筋肉質すぎる僧帽筋も背中もたるんだ二の腕も(恥)気にならないキャンバスになっていました。


アートの効果は絶大で
加えてオンナとしての魅力を引き出してもらい
なんか、自分がちょっとイイ女になったきぶん。



やっぱり、オンナというのは

賞賛されてこそ

育つものだと思う

そして自分の根底にあるものを認め

自分を解放して初めて

開花するのかもしれない