2018-12-10

時代が置き去りにしてきた SOUL

知人がFBで紹介していた動画で、何度見ても心が震えるものがある。

America's got Talent」というアメリカのオーディション番組でGolden Buzzers となった Zurcaroh という acrobatics & dance showグループのパフォーマンス。
オリンピックよりすごいよ!!!!!
のっけから鳥肌もんのパフォーマンスが続々。
特に小さな少女を人形のように放り投げるシーンなんて、高さ、正確さ、お互いの信頼関係の強さが凄すぎ!だって、一歩間違ったら死ぬよ!正確無比のパフォーマンス。
すごいプロ集団だと思う!ぜひ日本に来てほしい!!!

そして同じくGolden Buzzers となった13歳の Courtney Hadwin の歌が、また素晴らしすぎる!なんだろなあ、本当にバイブレーションのように心に直接伝わるかんじ。
彼女が13歳の少女だから感動するわけではなくて、彼女の歌から、声から、ソウルが伝わってくるのだ!本当になぜか涙が止まらなくなる。ほぼ号泣。
”君はこの時代のひとではない!Janis Joplin の生まれ変わりだ!!!”
・・・と(たぶん、そんなことを言ってると思う)、審査員も感動を隠せない。
本当にこんな天賦の才を持ったひとっているんだなあ。本当に何度見ても飽きないし、感動する!



(1番目:Courtney 2番目:Zurcaroh)

Courtney Hadwinに感動したので、Janis Joplin の曲をあらためてYoutubeで曲を聴いてみたら、Janis Joplin の凄さにまた感動。


音楽のウンチクはわからないけど、このひとにはソウルがあるって思う。音楽の神様に見出されたひとなんだろうなあ。
最近、ふとしたきっかけで60's、70's の音楽に触れる機会がぱたぱたと続いたんだけど、昔の曲って、その頃のシンガーって、こんなにずっしりと心に響いてくるものなんだと思う。何もかもがデジタル化された現代にいるから、そう思うんだろうか?

現代と昔、
デジタルとアナログ、
便利と不便、

どちらがいい、どちらが悪いというものではないけれど、こうして振り返ると何か忘れてきてしまったものもあるような気がする。


少し話はそれるけれど、わたしはデジタルデバイスが大好きだし、(年齢の割には)使いこなしている方だと思う。
でも、便利さを求める一方で、アナログ(っぽいデザイン)に惹かれたりもする。
スマホのフリック入力は若い人の親指のように動かなくてワイヤレスキーボードを買おうかと思ったことがあるのだけど、すごく欲しいと思ったのはこれ。

タイプライター風ワイヤレスキーボード 「PENNA」

手動のタイプライターって疲れるのよ、実際は。キーは重いし、力を入れすぎるとダダダってなっちゃうし。でも、あの独特の

ガシャ、ガシャ、ガシャ

というキーの音と、改行するときの

カシャ、・・・・・チーン

って音にしびれるの。
ああ、欲しい・・・。
もちろん、これはデジタルデバイスでデザインがレトロなだけなんだけど、たまらんわ。
AIの今後の動向も気になるけど、温かみというのか、人間らしさというのか、そういうものとのバランスが大事なんだろうなあ・・・。



Janis のドキュメンタリー映画「janis little girl blue」をお正月休みにでもゆっくり見てみよう。



2018-11-30

思い出の「キャンディ・マン」ふたたび

子供の頃大好きだった番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」。
三つ子の魂百まで、じゃないけど、ピンポンパンで覚えた歌はいまだにたくさん覚えてるし歌えるよ!
今思い出しても名曲が多くて、子供ながらにけっこう歌詞をかみしめながら歌っていた気がする。
ちなみに、特に好きだったのは


「ピンクのバニー」


それと歌詞の記憶が薄いんだけど、すごく印象に残っていてもう一度聞きたいと思っていたのが


「キャンディ・マン」


マクドナルドのドナルドみたいな人が子供に風船を配るようなシーンがあったような。優しいメロディーがすごく印象に残っているんだよなあ。



それが。
思いもよらぬ番組でこの曲と再び出会うとは!


Amazonプライム・ビデオで海外ドラマ「FRINGE(フリンジ)」を見ていたときのこと。シーズン2(エピソード19)の中で、”歌う死体”が3体、いきなり起き上がって歌い始めたのが

♪Who can take a sunrise〜♪


むむ?このメロディーは!?


♪The candy man〜 ♪



うそっ!!!わたしの好きだった「キャンディ・マン」!!!!!



っていうか、この曲、原曲は洋楽だったんだ、、、知らなかった。
ソッコー、Googleで調べたら、
1971年公開のアメリカ映画「夢のチョコレート工場」(Willy wonka & the Chocolate Factory)で使われた曲なんだとか。(ジョニー・デップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」は同じ原作から2度目に映画化されたもの)

で、その曲を Sammy Davis Jr. が歌って当時ビルボードでNo.1になったんだって。
アメージング!




ピンポンパンて、実はけっこう洋楽をカバーした曲が多くて、

「あいうえおばけ」がビートルズの曲だったとは!
「こぐまのテディ」がプレスリーの曲だったとは!

大人になって知る衝撃の事実。
ピンポンパンオリジナルの曲だとばかり思っていたよ。(歌詞はオリジナルだけど)

映画に使われた曲というのでは


「レイン・ドロップス」


も好きだったなあ。
わたしの頭の中では ♪雨だれこぞうさん〜♪ だけど。
原曲はあの有名な「Raindrops Keep Fallin' on My Head」、CMでも使われてたやつね。


Youtubeで上がってた「キャンディ・マン」の映像みたら、わたしの記憶もあながち間違っていなかったわ。ドナルドみたいな服着たお兄さん?が踊ってた(笑)。




2018-11-25

お別れのときの備忘

40代に入ったばかりの頃、高校の部活の先輩が急逝したとき、


自分が突然死んだら、誰に連絡してもらおうか


ということを考えた。
「もしわたしが突然死んだら

ヨガ関係は○○ちゃんで、
仕事関係は○○さんで、
友人関係は○○ちゃんと○○ちゃん

に連絡してね。
とりあえず、核になる人に伝えてもらえれば、あとは必要な人に知らせてくれるはず。」
・・・と夫に伝えておいた。
今は若干、付き合いの範囲が変わったので、その情報も修正しておかないとだな。


そしてつい先日、社内で60代現役の方が亡くなり、出棺まで参列したのだけど、ご葬儀を終えて思ったのは


棺の中に何を入れてもらおう?


だった。
棺の中の肉体は、ただの物体なんだけどね。
夫に「わたしが死んだら棺に何入れてくれる?」と聞いたら、少し考えてから


ヨガウエアとヨガマットを入れてやるよ


と言われたので、ナルホド。そりゃいいわ。そうしてください。
と納得した。さすが夫だ。
「じゃあ逆に棺に何を入れてほしい?」と聞いたら、


洋服


ということなので、そのときお気に入りのスーツを入れてあげることにしておく。
とりあえず、いざというときの備忘。






2018-10-20

100回

毎朝の神社参拝を始めて、100回の参拝を終えた。
物理的に参拝できなかった日と、どうしても行く気になれなかった日が5−6日あっただけで、ほぼ毎日手を合わせてきた。


なぜ、わたしが毎日氏神さまへ向かうようになったか?


それは、ある人からそうするよう勧められたから。


これまでの人生の中で起こった人間関係の躓き。
いじめだったり、
クラスメイト誰とも馴染めなかったり、
とても仲良くしていた友人が手のひらを返したように態度を変えてきたり。



それは単に(心を)傷つけられた、というどころではなく、
”わたし”という人格をとことん否定されたり、貶められた。
消えてなくなりたいと思うほどに。



わたしの何がいけないんだろう?
わたしの発言が他人を嫌な気持ちにさせているのか?
自覚なく他人を嫌な気持ちにさせているなんて、自分が許せない
わたしのことを認めてくれるひとはいるんだろうか?


ことあるごとにそう感じて、


ダメなわたし
サイテーなわたし
わたしには価値がない


、と自分で自分の心に鞭をふるってきたし、自分で自分を貶めるような行為もしてきた。
後でそれは、自己肯定感が低いひとがやりがちなことだと知って、やっぱりわたしはそういうひとなんだと思った。


わたしなんてという謙虚も度を超えればただの卑屈だ。
自己肯定感などほとんどないまま、生きてきたと思う。



漠然と 人づきあいでうまくいかないことが多い



と、その人に話したら


当たり前や。ほかのひとと違って”持ってるひと”やからな。妬まれるねん。
突き抜けたらええねん。
”持ってないひと”に合わせたらアカン。
持ってないひとにまみれたら、”運”を取られるねん。
”持ってるひと”っていう自覚がないとな、フルボッコにやられるねん。
突き抜けたら、妬まれたりする対象にならへんねん。


、と即答された。
そしたら、本当に目から鱗が落ちたかのように


そうだったんだ!


と腑に落ちた。まさに腑に落ちた。
初めて”水”を認識したヘレン・ケラーみたいに。



そして彼女からもらったアドバイスのひとつが、


氏神さまへ毎日行く


ということだった。

以前、山伏の知人も言ってた。

氏神さまというのは、地元の消防団みたいなもの。
家で火事が起きているのに、遠く離れた消防署に「助けてください」ってお願いしても無理な話で、
遠くの地にいる神様に「いま助けてください!」ってお願いしても
神様だって「助けに行ってあげたいけど遠くて行けないよ〜」ってなる。
すぐに助けに来てもらえる地元の消防団=氏神さまを大事にしましょう。


この説明もなるほど!と膝を打ちたくなるくらい納得ものだった。
だから氏神さまへ行くことに全く抵抗がなかった。
そんなわけで明日も氏神さまへ行く。





2018-09-25

It's my ritual

毎日氏神さまへお参りをして、週1回下総国一宮である香取神宮へお参りをする、という生活を続けている。

氏神さまは私が千葉県へ引越してきた4歳の頃から、初詣に必ずお参りに行く神社で、最も自分の生活の中で身近に感じる神社だ。
不思議なことに、今まで住んだ中で現在の家がもっともこの神社に近い。だからというわけでもないけれど、毎日お参りすることはさほど苦でもなく、物理的に旅行で自宅にいなかった時や、どうやっても時間が捻出できなかったほんの4日ほどをのぞき、日参している。

ヨガの練習に行く日は早朝、普通に出勤する日はその2時間後くらいにお参りに行くのだけれど、境内にひとりっきりだったことはほぼない。
どんなに暑い日でも、雨の日でも、必ず誰かがお参りをしていたり、通りがかりに神様にご挨拶をしていたりするのを見かける。
お参りに来る人がお年寄りなのかといえば、決してそういうわけでもなく(うんと若い人は確かにいないけれど)年齢も性別もさまざまだ。
今まで知らなかっただけで、神様の存在が生活の一部になっているひとはたくさんいるのだと、あらためて知らしめられる。


知り合いに、見た目はとても可愛らしい女性だけど「山伏」という人がいて(笑)。
この習慣を始める直前、たまたま彼女から神社参拝の流儀を教えてもらっていたので、形だけはなく、心構えがきちんとできた状態で臨めている。

彼女の言葉を借りれば、神社は「内観する場所」。
参道を歩きながらこれまでの自分を振り返り、神様の前で宣言をする。

さっき「合掌」することについての興味深いコラムをインターネットで見かけた。
脳波をシータ波に下げることで様々な発明をしたという有名な方(故人)が、”合掌し感謝することで脳波が下がる”といったことを著書の中で述べているらしい・・・。


神聖な朝の時間、静かに合掌をして神様に感謝を述べ、アファメーションを行う


脳にとっても、良い習慣を毎日しているようだ。