2015-10-24

タパス

いざ言葉にしようとするとまとまりがつかないのだけれど、ときどき?いや周期的に、かな?とても苦しくなることがある。肉体の苦しみではなく、静かな心の中の葛藤。

大好きなことをやっているのに、大好きなことに苦しめられるという、、、、矛盾。
本当にうまく言えないけど、


嫉妬
羨望
焦燥
執着


もうドロドロ。



アシュタンガのプラクティスを始めたばかりの頃、それはそれはもう、練習がしたくてしたくて、どこに行けば練習できるのか、あちこち探してクラス受けに行ったりして、もういつも練習飢餓状態(苦笑)
なのにその頃はなかなか継続的に練習できる環境が整わなくて、ずっとずっと心の中でもがいてた。
・・・で、今になってようやくプラクティスの環境を見つけて、習慣化することはできた。


でもわたしが熱くなっていた当時はアシュタンガってなに?くらいの興味だった仲間たちが、今や理想的な練習環境にいて、師とする先生と出会った途端にものすごい勢いで練習を深めているのを目の当たりにすると、うらやましいとともに、悔しくて仕方がないのだ。



あんなに熱望し続けた自分にはすぐに手に入らなくて、
彼女たちは簡単に手にしている



それが悔しくて、うらやましくて、嫉妬に駆られる自分がいる。




そしてそんな自分を見てダメダメなんだと、またしても自分を責めてしまう。
自分を認めようと努力しているつもりなのに、また自分が嫌いになってしまう。
そんなことをグルグル考えて、悲しくなって泣いてしまう。




いったい何のためのヨガなんだ?




練習環境ができた。それだけで十分感謝すべきことだ。
今あるものに感謝しよう。
そう頭の中では理解しているのに。
そう納得しようと押さえつけても、ムクムクとイヤーな感情がときどき顔を出す。








人間らしいっちゃ、らしいけど。







そんな感情もあるよね。普通。

わたしはコドモの頃から勝ち目のない競争には最初から手を挙げないタイプで、
闘争心がないから、バスケみたいな意地でもボールを奪ってやる!的なスポーツも苦手。
テストで誰かに順位を抜かれても、キィーーーーっ!悔しい!という感情も希薄。
仲間外れになりたくないから横並び意識が強くて、競争心もない。

というタイプだったと自己分析している。
何ともコドモらしくない。
感情にまかせて取り乱すのがみっともない、という意識があったような気がする。


そんなコドモ時代に比べれば、ドロドロでも今のほうがいいかな。
・・・とは思えるようになった。
こんなわたしもわたし。

でももっと、純粋に練習を楽しみたい。
余計なことにとらわれずに。
いつになったら、不要なものを手放せるのだろう。