2018-02-20

開けているつもりはないけど、開いてるドア

パン屋のイートインにて。

「買い物するので、これ、ここに置いてていいかしら?」

と隣の席に荷物を置くおばさん。席は空いているので問題はなく、「ああ、はい」と反射的に返事をしてコーヒーを飲んでいたら、しばらくしてパンを買ったおばさんが戻ってきて、

「すみませんでしたねえ。助かりました。さっき、お買い物しちゃったから・・・。
これね、すごく安くなってたのよ。」

と百貨店の紙袋から何やら出してきた。

ああ、きたか、このパターン。

「何を買われたんですか?」
無視するわけにもいかないので、笑顔で一応聞いてみる。

「焼酎、焼酎。1,600円も安くなってて、たくさん買ったら8,000円くらいしちゃったの!
ほんとにすみませんでしたねえ。何か差し上げられるといいんだけど、、、何もないわ。ごめんなさい。」
「いえいえ、お気遣いなく」

わたしはただぼんやり座っていただけなので、そんなにお礼を言われる筋合いもないんだけど、いいお買い物ができたおばさんは、テンションが上がっていたんだろう。

しかし、知らないおばさんに話しかけられるのが日常茶飯事すぎる。
最近では、病院の採血待ちをしていたら、隣に座っていたおじいさん?おじさん?に話しかけられ、採血の名前を呼ばれるまで話し相手になったことも。


いつでもドアをオープンにしているつもりはないんだけどなあ。
かといって、いつもぴたりと閉じているのもどうかと思うし。
わたしはHPSの気があるので、ちゃんと境界線を引いておくべきなのかもしれない。



2018-02-16

いつでも、自分だけは自分の味方

たいていの女子(・・・と自覚しているひと)は、必ず目を通している”占い”があると思う。わたしは石井ゆかりさんとしいたけさんは絶対はずせない。
そのしいたけさんの「しいたけ占い 12星座の密と毒」を読んだら、


やっぱそうかー


と腑に落ちることがありました。
それは自分の星座についてのくだりではなく、しいたけさんが”こんなこと考えてるよ”といったエッセイ的な部分にあったのですが、

何かショックなことが起きている人、身近な人と仲違いをしている人は、できれば神社仏閣に行ってください。これは別に特定の宗教がどうとかではなくて、気持ちを立て直すときって「娑婆」の空気じゃやっぱりダメなんです。
「緊急提言・仲違いについて」

というアドバイスを読んではっとしました。しいたけさんが本の中でしている本来のアドバイスからはちょっと外れるんだけど、

わたし自身が対人関係で揺さぶられてどうしようもなかったとき、休みを取ってどこかへ行って気分転換しよう、と思ったわたしの目に飛び込んで来たのは「伊勢神宮」を訪れている番組でした。
・・・で、「伊勢神宮行こう!」となったわけで、いわゆる「ピン」ときたやつね。
だから、なんていうか、自分がどういう対処をすればいいのか?どういう方向に向かっていけばいいのか、というのは、実はただ直感に従えばいいんだなと。
心の動揺を落ち着けるために、そこから先の自分のアファメーションの場とするために、そのとき、わたしには「伊勢神宮」が必要だったんです。
ああ、わたしはわかってたんだと納得しました。


もうひとつ

・・・(省略)服装に小さな変化が表れるときがあるんですって。そういうとき、水面下でその人のライフサイクルがものすごく変わろうとしているのです。
「チャンスはあっけない」

という下りでまた、うわわわわわわ!!!!と声をあげてしまった(笑)。
わたし、過日、こんな記事を書いたばかりで。
思い当たることがいっぱいあって(笑)。

そのあと、しいたけさんは

「反省」ってし過ぎると怖いのです。「こんな至らない自分なんて許せない」と思っていると、身体の奥底にまで残ってしまう。
(中略)
自分だけは自分の味方であるところに、チャンスはよくやってくる
「チャンスはあっけない」

と書いているのですが・・・、

はい。わたし、ずっと、ずっと、

「こんな至らないわたしが生きていてごめんなさい」

って思って生きてきました。躓くたびに「こんなわたしじゃダメ!」とポカスカ心の中の自分を叩いていました。

今、自分に徐々に現れている現象?に気付いたら、もともとスポ根(パフォーマンスをあげるために自分を鼓舞する)ってわたしにはしっくりこないんだから、笑って許して誉めて伸ばせばいいんじゃね?(←この軽い若者っぽいノリが大事)って(笑)。
こんな今のノリを大事にしたいなあ。




2018-02-12

トウリーダー(レベル1)修了しました!

わたしが「トウリーディング」を知ったのは、2014年 ananの「ふくらはぎと足裏・あしゆび。」という特集号を手にしたからでした。
以来すごく気になっていて、いつかこのセッションを受けたい!トウリーディングなるものを学びに行きたい!と思いつつ時は過ぎていったのですが、昨年、まさか彼女からその言葉が出るとは思わなかった(笑)、友人Fちゃんから”トウリーディング” の話が偶然出てびっくり!


「知ってる!知ってる!わたし、ずっと気になっていたの!」

「じゃあ、メンバー募ってさ、先生に来てもらおうよ」



・・・ってな流れで(←江戸っ子かい!)、念願叶ってトウティーチャーの真弓紗織さんにグループセッションをしていただく機会に恵まれました。


そして今回、そこからさらに!
一歩進んで、”トウリーディングをする側”=トウリーダーになる講座を受講しました。

「トウリーディング」という言葉で勘違いしがちなのは、トウリーディング=足を読む からと言って、占いではないということ。
答えはすべてクライアント自身(足を出している側)にあって、「足」というパーツに投影された(深層)心理を、トウリーダーが見えていること(現象)が引き出し(聞き出し)、なぜだかわからないけど自然に(必然的に?)、クライアント自身の中にあった思いや答えにたどり着くことができるというものです。


ヨガしていても思うんだけど、わたしたちは自分の身体に注意を払わなさすぎている。
生きていて当たり前、動いて当たり前。何か肉体的に深刻なことが起きて初めて、そこには驚くような人体の仕組みがあるんだと意識したり、そこでようやく感謝したりする。
心が悲鳴をあげているのに知らぬふりをして自分の気持ちにフタをし続けた結果、身体の不調として現れたりすることは、普段からあちこちでよく聞く話。
実はそこに至るまでに身体がサインを出しているんだろうけど、まったく気に留めなかったり、気づいたとしてもそれを認めると自分に「負け」を認めるようで、気づかなかったことにしちゃってる。たぶん。
そんなわたしたちだから、足を意識するのはせいぜい靴を選ぶときくらい?
手とちがって普段は靴下や靴に覆われているから、じっくり見ることなんてあまりないんだよなあ。


だからトウリーディングで、真剣に足指と長時間向き合ってみると、発見!発見!あら、また発見!というかんじ。
足指は、今まで歩んできた自分自身のメモリースティックで、そこには自分の情報がたくさん保存されています。忘れた(つもり)の記憶も実はそこにはあって、よーく見ると、見つけてほしそうに視覚化しちゃっていたりするんです!
まさに、人智を超えちゃってます・・・!


わたしたちの中にある顕在意識と潜在意識。
もし自分の中に100人の自分がいるとするならば、その割合はおよそ5人の顕在意識ちゃんと95人の潜在意識ちゃん。5人の顕在意識ちゃんは「手」に似ていて、95人の潜在意識ちゃんは「足」に似ているようなかんじかも!?
手はわかりやすいもんね。すぐ目につくところにあるし。主張してる。手に現れる苦労?ってわかりやすい。
でも足は???体を支えている大事な土台なのに、寡黙だ。靴下をはいてしまえば、靴をはいてしまえば、隠れちゃう。なんか自分たちの潜在意識に対する扱いと似てる。


人のものの見方や価値観はそれぞれのものだから、
わたしは誰かの幸せを決めることはできないし、
誰だって自分の幸せを第三者に決められたくはないものでしょう。
トウリーディングによって、その人自身が気づくことができる。
わたしはそのためのトリガーを一緒に見つけて、目の前にきた誰かを応援したい
と思います。


来月末には、より深いアプローチができるトウリーダーを目指して「レベル2」を受講します。そのために、私自身の勉強として、たくさんの足に触れさせていただきたい!
わたしと面識のある方で、わたしに足を見せてもいいよ~という方がいましたら、ぜひ直接ご一報(e-mail、LINE、MessengerなんでもOK)ください!

撮っていただいた写真。Thank you!


ところで、2日間の講座の中で、個人的に「え?いまそこと繋がっちゃう?」ということがあって(笑)。
12月のヨガニードラの講座でサントーシマ香先生が紹介してくださった著者が、また目の前で紹介されたり。
これはさ、”早く手元に置いて読みなよ~”ってメッセージだよね、たぶん。買います!読みます!

「〇〇(著者名)って知ってますか?」という質問には、「今日、カバンにその人の本入ってますけど!!!」状態だったり。
なんだか今、すごい勢いで何かの流れにのっている気がする今日この頃。わーいわーい!楽しいぞー♪




2018-02-09

Let it go

身体の痛みがまったくないわけではないが、ここ最近の練習は何かが違う。


何か憑物が落ちたような・・・


そう、私の中にあった、”何かこだわりのようなもの”を手放せた実感がある。
とっても自由なかんじ。


久しぶりにまた、自分ののびしろを見つけたような・・・



なんだか清々しい。