2016-10-20

本日のランチのお供 「壇密日記」

ねっちょり湿ったかんじのオンナが苦手だ。
うまく表現できないけど、常にオトコの目を意識しているようなかんじ、かなあ?
服装もいつもオトコうけしそうなかんじで、酔っぱらうとやたらしなだれかかったりボディタッチが増えたり。
フェロモンってかんじとは若干ちがう、なんだか作為的なネトネト感を出してるひと。
オトコは単純な生き物だから、「〇〇ってなんか色っぽくていいよな!」なんて鼻の下伸ばしたりしてる。←バーカバーカ!


しかし例外もある。
タレントの壇密さんは、わたし的には見た目、湿ったかんじのオンナだけど、なーんか気になる存在でもある。
しゃべくり007でゲスト出演したとき「職業はエロイお姉さんです」ってしれっと言ってたな。
でもしゃべると、失礼ながら、あれ?このひと、頭悪いひとじゃないんだ?もしかして、いろんなこと知ってたり考えてたりする?っていうギャップがあって。
まあ、そういう売り出し方に事務所の作為があるのかもしれないけど。
NHKの番組にもたびたび出演していて、そんな彼女を見るうちに”ちょっと不思議なひと”として興味を持つようになった。


少し前本屋で面白い本ないかな~と物色していたとき、目に飛び込んできたのが


泣くなら、ひとり 壇密日記3


いやいや、さすがにタレント本?は買わないかな
って、その時は気になりつつも手に取らなかったんだけど・・・


ときどきチェックしてる、あるBlogでこの本が紹介されていて、なかなか高評価だった。
このブログの方はかなりの読書家で、いったい月に何冊の本を読んでいるのかと思うんだけど、彼女の評価が高いなら、面白いにちがいない!
しかもこの方、過去にこの「壇密日記」「壇密日記2」についても紹介してる。



・・・ってわけで、早速

壇密日記

をKindle版でゲット。
残念ながらKindle版だからって安いわけじゃない。
本は紙で読みたい派だけど、一度読んだら十分な場合が多いので、本を増やしたくないだけ。


今日のランチのお供はこの「壇密日記」。
ただの日記なんだけど、ちょっとした言葉の選び方や日常生活の目のつけどころが、なかなかに面白い。あの、TVで見てる壇密を想像しながら読むからなおさらなんだろう。


たぶん、引き続き「壇密日記2」と「泣くなら、ひとり 壇密日記3」も買うと思う。






2016-10-19

作為を超えるということ

録画しておいた「プロフェッショナル 仕事の流儀」デザイナー皆川明さんの回を見た。
昨年見に行った「ミナカケル」展を思い出しながら視聴した。

印象的だったのは、

周りを喜ばせたいと思いすぎると作為が勝ちすぎる

という言葉。

「作為的」は、度が過ぎると食指が動かない。
わたしが嫌悪感を感じる「作為」のひとつが「お笑い」。
お笑いって、かなり苦手。
作りこみすぎて、

さあ、さあ!どうだ!?面白いだろう?

ばかげてるだろう?笑えよ!

という作為に満ちている空気がイヤ。
TVをたまたま点けたときに、思わずくすっと笑うくらいが、わたしにはちょうどいい。
まあ、エンターテイメントだからね、作為がなきゃ意味がないのかもしれないけど。

映画やドラマで、最初から涙を誘うつもりの作品もキライ。
ちゃんとしたテーマがあるんだろうけど、泣かせよう、泣かせようとする作為が丸見えなのがイヤだ。なんだかそれを煽るように、CMで「こんなに感動した映画はないです」なんていう感想を流してるのも興ざめだし。

映画が始まった途端、思いもよらず涙が溢れてしまって、こんなシーンで泣いてるのはわたしだけじゃないかと鼻も啜れなかったのは「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」だった。
それは、マイケルのステージのバックダンサーに選ばれた人たちの喜びに満ちたインタビューのシーンで、まさかそこで胸が熱くなるとは全く想定していなかったので焦った。
人の感動って、そういう嘘や飾りのない、真摯な思いや姿と向き合うところで生まれるものじゃないかなと思う。


洋服に限らず、消費者としては、
「ああ、こんなかゆいところにまで手が届いているなんて!」
という商品に出会えたときは感動するから、作為というか、マーケティングがとても大事な場合もあるし、逆に、
「なんでこういうモノを作ってくれないのかしら!」とか
「わたしの欲しいモノがない!」
という不満もあるし、またそんな不満から新しく生まれるモノやサービスがある。
だから作為をまるっきり悪者扱いするつもりはない。


ファッションの場合はとくに、人によって興味のあるなしとか好みの幅が広すぎる。人のカラダに纏うものなら、人のカラダだって千差万別だ。
だけどそのどこにもフォーカスせず、淡々と自分の喜びに従って、独自の世界観を醸し出す。
そこには消費者への媚びはなく、かといって「どうだ!オレサマの世界観は!」という傲りもない。
皆川さんのテキスタイルの前では、ただ、ひたひたとものづくりへの熱意を感じるだけだ。




ところで、行き詰った皆川さんが沖縄在住の陶芸家を訪ねたとき、こんなことを言っている。

思う方向に向かいたいと思いながら、 
思っているうちはできそうもないジレンマがある

なんかそんな感覚、わたしも知ってるような気がするなあ~
と思いながら聞いていた。
わたしの現在のメインワークはクリエイティブワークではないし、クリエイティブは趣味の範疇だから、皆川さんの感覚と共感するようなことあったかしら~?と思っていたけど、ふと気付いた。



ほとんど毎朝感じてるわ、練習の中で!




そうか!
だから淡々とひたむきに向き合うしかないんだ。
そして、つまり、作為はエゴね。


結局、突き詰めていくと、追い求める真実はひとつなのかな~