先日も
久しぶりに怒り収まらず 「Beach Press」より
というエントリーを読んで、まず目に留まったのは、わたしが服用していた薬の名前。
エリツィン編集長もパニック障害だったのね。だから薬に詳しいのね。
わたしは長期にわたるパニック障害で
「もう、まともな社会生活は送れないかもしれない」
と危機感を覚えて心療内科に行き、処方された薬を5年ほど服用していた。
とにかく発作を抑えたい一心だったし、ドクターの提案は納得できたので、最小限の処方で服用し続けた。
のちに症状が治まってくると、ドクターの指示で1回1錠の処方が1/2錠になり、最後は1/4錠まで薬局で錠剤を砕いてもらい、徐々に服用量を減らして断薬した。
たしか症状がとてもひどい頃はパキシル。その後ソラナックスになって、それを減薬していったと思う。眠れないときにはスポットでマイスリーも処方してもらったけど、1回だけだったかな?
実は今でも、お守りがわりにソラナックス1/4錠は持っていないと電車に乗れない(苦笑)。
心療内科に行こうと思ったとき、電車に乗れないのだから、有名な病院を教えてもらったとしても遠くの病院には通えなかった。
当時、心療内科はメジャー(言い方がそぐわないけど)になりつつあったけど、今ほどクリニックもなかったように思う。
だから、家から一番近いクリニックは、まだ開院して一年も経っていなかったけれど、来院時間を予約しても1時間以上待つことはザラなくらい患者さんが多かった。
たくさんの患者さんに対してドクター1人で対応するのだから、ドクターの具合が悪くなるんじゃないかと、逆に心配したくらい。
クリニックが長期のお休みをとると、具合の悪い患者さんが出るからと、年末年始のお休みも短かった。
当然ドクターとの対面時間は短かったけれど、待合室に入りきらない患者さんたちを見ると、これ以上時間をとるのはムリでしょ、と思わざるを得なかった。
これが現状。
幸い、薬で発作は徐々に収まっていったし、通院も終盤にはいった頃からヨガを始めていたので、こうして現在、まともな社会生活を送っていて、しかも当時よりはるかにアグレッシブでバイタリティ溢れる毎日を送っている。
だから服薬という処方を否定するつもりはないし、当時のわたしにはマストだったけれど、違うアプローチもあったんだろうなとは思う。
科学的なメカニズムもあるとは思うけれど、
この症状はわたしの
生き方やら、
価値観やら、
意識の持ち方やら、
いろんなことに対してのストレス
が生んだのではないかなと、最近になって思う。
振り返ってみて、40代に入るまでのわたしは、本当に生きづらかった。
知らず知らずのうちに、自分を見えないワイヤーで何重にもガッチガチに縛り付けて、ギチギチになりながら生きてた。たぶん。
そりゃあ息もできなくなるって。パニックになるよ。
今になって、ヨガを通して身体のことを多方面から学んでみて、
抑圧された感情や思考ぐせが、特定の病気や症状に結びつくという考え方は
その通りかもしれないと思うようになった。
心がほどけたから身体がほどけたのか?
身体がほどけたから、心がほどけたのか?
にわとりかたまごか?みたいにどっちが先かわからないけれど、
暗黒の湿地帯に胸まで浸かってもがいていたのに、
今は羽がはえて大空を飛びまわっている
というくらい、自分の意識も生き方も違う。
実に不思議だ。
・・・で、ふと思ったのは、母のこと。
もともと身体が弱いというか、いつもぐずぐずと体調が悪くて、
ひとたび調子を崩すと長引く。
最近は喘息の発作が出るらしくて、
気道が狭くなってひゅーひゅーして苦しいんだそうだ。
ひょとして、彼女の思考ぐせ、これがトリガーになってるんじゃ・・?
どちらかというと母は不平不満が多いひとだ。
あまり感謝の気持ちを表さない。
もちろん、有形無形なモノ、コトを(して)もらったときには感謝はしている。
でも、”感謝の気持ち”が少ないひとのような気がしてならない。
まあ、本音で生きてるひとだから、本音で表すとそういうことになるんだろう。
そこへもってきて、長年蓄積した鬱積があるわけだから、
身体の症状として出ないわけ、ないよね・・・。
調子が悪いと病院へ行き、
しこたま薬を処方されてくる。
日本の医療はとにかく薬に頼るから、そういうことになるのは仕方ない。
で、あるときは処方された薬の種類が多すぎて、
服用したらかえって具合が悪くなったという始末。
具合が悪い本当の原因は、身体的なことじゃないんじゃないか???
そう思えてならない。
・・・ってわけで、エリツィン編集長がオススメの本を早速注文してみたよ。
届くのが楽しみだーい!