2016-01-29

心と身体は密接な関わりを持っている

Beach Press というサイトの編集長ブログがツボなことが多い。

先日も

久しぶりに怒り収まらず  Beach Press」より

というエントリーを読んで、まず目に留まったのは、わたしが服用していた薬の名前。
エリツィン編集長もパニック障害だったのね。だから薬に詳しいのね。


わたしは長期にわたるパニック障害で


「もう、まともな社会生活は送れないかもしれない」


と危機感を覚えて心療内科に行き、処方された薬を5年ほど服用していた。
とにかく発作を抑えたい一心だったし、ドクターの提案は納得できたので、最小限の処方で服用し続けた。
のちに症状が治まってくると、ドクターの指示で1回1錠の処方が1/2錠になり、最後は1/4錠まで薬局で錠剤を砕いてもらい、徐々に服用量を減らして断薬した。
たしか症状がとてもひどい頃はパキシル。その後ソラナックスになって、それを減薬していったと思う。眠れないときにはスポットでマイスリーも処方してもらったけど、1回だけだったかな?
実は今でも、お守りがわりにソラナックス1/4錠は持っていないと電車に乗れない(苦笑)。


心療内科に行こうと思ったとき、電車に乗れないのだから、有名な病院を教えてもらったとしても遠くの病院には通えなかった。
当時、心療内科はメジャー(言い方がそぐわないけど)になりつつあったけど、今ほどクリニックもなかったように思う。
だから、家から一番近いクリニックは、まだ開院して一年も経っていなかったけれど、来院時間を予約しても1時間以上待つことはザラなくらい患者さんが多かった。
たくさんの患者さんに対してドクター1人で対応するのだから、ドクターの具合が悪くなるんじゃないかと、逆に心配したくらい。
クリニックが長期のお休みをとると、具合の悪い患者さんが出るからと、年末年始のお休みも短かった。
当然ドクターとの対面時間は短かったけれど、待合室に入りきらない患者さんたちを見ると、これ以上時間をとるのはムリでしょ、と思わざるを得なかった。
これが現状。


幸い、薬で発作は徐々に収まっていったし、通院も終盤にはいった頃からヨガを始めていたので、こうして現在、まともな社会生活を送っていて、しかも当時よりはるかにアグレッシブでバイタリティ溢れる毎日を送っている。
だから服薬という処方を否定するつもりはないし、当時のわたしにはマストだったけれど、違うアプローチもあったんだろうなとは思う。


科学的なメカニズムもあるとは思うけれど、
この症状はわたしの

生き方やら、
価値観やら、
意識の持ち方やら、
いろんなことに対してのストレス

が生んだのではないかなと、最近になって思う。
振り返ってみて、40代に入るまでのわたしは、本当に生きづらかった。
知らず知らずのうちに、自分を見えないワイヤーで何重にもガッチガチに縛り付けて、ギチギチになりながら生きてた。たぶん。
そりゃあ息もできなくなるって。パニックになるよ。

パニックは一番顕著な一例で、ひどいニキビに悩まされ続けたり、いつも胃の調子が悪かったり、ひどく疲れやすかったり、とにかく快調なことがほとんどなかった



今になって、ヨガを通して身体のことを多方面から学んでみて、
抑圧された感情や思考ぐせが、特定の病気や症状に結びつくという考え方は
その通りかもしれないと思うようになった。


心がほどけたから身体がほどけたのか?
身体がほどけたから、心がほどけたのか?


にわとりかたまごか?みたいにどっちが先かわからないけれど、


暗黒の湿地帯に胸まで浸かってもがいていたのに、
今は羽がはえて大空を飛びまわっている


というくらい、自分の意識も生き方も違う。



実に不思議だ。





・・・で、ふと思ったのは、母のこと。
もともと身体が弱いというか、いつもぐずぐずと体調が悪くて、
ひとたび調子を崩すと長引く。
最近は喘息の発作が出るらしくて、
気道が狭くなってひゅーひゅーして苦しいんだそうだ。


ひょとして、彼女の思考ぐせ、これがトリガーになってるんじゃ・・?
どちらかというと母は不平不満が多いひとだ。
あまり感謝の気持ちを表さない。
もちろん、有形無形なモノ、コトを(して)もらったときには感謝はしている。
でも、”感謝の気持ち”が少ないひとのような気がしてならない。
まあ、本音で生きてるひとだから、本音で表すとそういうことになるんだろう。
そこへもってきて、長年蓄積した鬱積があるわけだから、
身体の症状として出ないわけ、ないよね・・・。

調子が悪いと病院へ行き、
しこたま薬を処方されてくる。
日本の医療はとにかく薬に頼るから、そういうことになるのは仕方ない。
で、あるときは処方された薬の種類が多すぎて、
服用したらかえって具合が悪くなったという始末。


具合が悪い本当の原因は、身体的なことじゃないんじゃないか???
そう思えてならない。




・・・ってわけで、エリツィン編集長がオススメの本を早速注文してみたよ。
届くのが楽しみだーい!





2016-01-28

家族に対する執着

意識がたとえば「A」というものに向かっているとき、



そこへ向けてのアンテナが張り巡らされているから、
やたら「A」に関連した情報に気付くのか?


シックスセンス的なアレが働いて、
「A」の関連情報が引き寄せられるのか?



どちらかはわからないけれど
詐欺被害事件がトリガーとなって、家族に対する思いをふつふつとさせていたら




もう、まさに、
このタイミングで
この内容が
運ばれてきたのはなぜ?




という内容のブログエントリーのお知らせが、未明に届いていた。
考察が深い人のブログを読むのが好きで、いくつかのブログの読者になっているのだけど、
以前にも読ませてもらったことがある、少し古いエントリーにコメントが書き込まれたようで、更新のお知らせとして届いたらしい。
(今回の場合は、シックスセンス的なアレ、の方かな・・・)


自立とは~親子問題解決への執着を手放す事について思う。 ルッカ*ルシカ ブログ」より



このエントリー内で紹介されているように、わたしも親子問題を解決しようとはしていない。
TVで「ナイナイアンサー」とかを見ると、やっぱり「わたしはこう思っている」と話してみたほうがいいのか?と思ったことも何度もあるけれど、結果として手放している。(手放した、と過去形で語れないところが、まだモヤっとしているところかな・・・)


「親子問題」と表現したけれど、いろんなモヤっと感を感じているのはわたしだけで、親のほうは問題とは感じていないだろうし。

いろいろ考えた結果、親のせいにしてしまえば自分はラクだけど、当時、あえて疑問を感じなかったり、変えようとしなかった自分も悪いという自覚もある。

何より、老い先短い人に、大きなダメージを与えたくないというのもある。
(・・・そういうと聞こえはいいが、実のところ、衝撃的なダメージを与えてやりたいという悪魔の囁きがまったくないわけではない。)



だから、母に悪態をつかれて腹が立っても、
なんでわたしばかりこんな言われ方をするのかと
理不尽に思っても、



わたしが悪者になっておけばいいや。



と一旦は手放すようにしているのだ。
たぶん、妹は相当早い時期(ティーンエイジャーの頃)から、そうだったんだろう。
彼女もまた、親に対して本音は語ったことがないと思う。




我が家はごくごく普通の、一般的には常識的な家族だと思う。

でも実のところ、誰も本音で接してないんだな。




そんな中、実は唯一、母だけが本音の人なのかもしれない。


・・・なんとなくそう気付かされた昨日今日になった。




2016-01-27

電話詐欺被害と家族のはなし

実家の父が電話詐欺の被害にあった。
いわゆる還付金詐欺ってやつだ。
キャッシュカードを持ってコンビニへ行くよう指示をされ、言われるままにATMを操作。
母が銀行と警察に連絡したときには、すでに口座は空っぽ。預金残高以上の金額を引き出され、残高にはマイナスがたっていたらしい・・・。

実家に行くと、電話の前の壁やカレンダーのところに「オレオレと言われたら」みたいな対策メモがでかでかと書いてあるし、うちの親に限って騙されはしないだろうと思っていたが、あっさりやられてしまったことにわたしも驚いた。
後から母に「それは詐欺よ!!!」といくら諭されても、父は母の言うことを信じなかったというから困ったものだ。

困ったものといえば、以前TVで、オレオレ詐欺のような犯罪の被害者に対して責めてはいけない、と言っていたので、電話口でショックと怒りを訴える母に「とにかく、今後、被害を受けないためにできることをしよう」と冷静に話したら、母は軽く逆ギレした。
「わたしがこんなにショックを受けているのに、わたしの気持ちはどうでもいいの?!」
という見えない(聞こえない?)言葉が受話器からビリビリ伝わってきた。
警察からも「ご主人をあまり責めないであげてください」と言われたそうだ。
母は怒りの持って行き場がなくて、わたしに同情してほしかったのだろう。
それはわかるんだけど・・・、むしろわたしは母への対応の方が精神的に疲れた。


娘のわたしが言うのもなんだけれど、父は少し?いやかなり?KYなひとだ。
長い結婚生活の中で、父と母のどちらが我慢を強いられてきたかを想像するに、母ではないかと思う。


好き勝手ばかりやって、失敗しても、頑固でも、しょうがないよ、こういうひとなんだもん、と許されてしまうなんて、不公平じゃないか。

間違ったひとを正すのが筋であって、正しい自分が我慢したり、考えを変えなきゃいけないなんて、間違ってる!


・・・ときっと母は思っているんだろう。

以前のわたしなら、きっとわたしもそう感じると思う。
・・・というか、そういう母から産まれてそういう意識の元で育てられたので、そう思って当然だった。


でもね、だから疲弊するんだよ。


一筋縄ではいかないキャラクターだってイヤというほどわかっているんだから
それでも正そうとか、変えようとか、糾弾しようとしたりとか
するだけ自分が疲れることに母は気付いていない。
損だとか理不尽とか、そんなことを考えたら自分が生き辛いだけだから、
そういう枠をとっぱらって、
自分の意識をちょっとでも違うほうに向けていくしかない。
だから、怒りに目を向けないように違う部分をフォーカスしたのに
母にはそれがたいそうご不満だったわけで。



彼女の中ではきっとまた

「うちのムスメは冷たい」
「どうせわたしのことなんて誰も心配してくれない」

ということになっているんだろう。




あーーー



めんどくさ。






こうやってまた溝が広がっていくのだ・・・。
というか、あなたが勝手に溝を広げているんですよ?






2016-01-11

巡る、必然

家の書類を整理していたら、とあるテキストが出てきた。
パニック障害でメンタルクリニックに通院していたとき参加させてもらった、”瞑想の効果・検証をはかる研究”のテキスト。

当時、なんとか自分でも心身の不調を少しでも良くしたいと思っていて、ある時ふと目に留まったのが「瞑想」というキーワードだった。
たまたまそこから連想されたのが「ヨガ」で、ちょうどヨガを始めたばかりの頃だったと思う。
・・・とはいえ、ヨガ初心者のわたしは、まだヨガの呼吸法もヨガ哲学もなーんにも知らない時期で、このテキストを読んで、実践してどう思ったのか、何を感じたのか、正直記憶がない。





このテキスト、どんなことが書いてあったんだろ?
・・・とパラパラ内容を見直してびっくり!




今でこそ、”マインドフルネス”なんて言葉がごくごくフツーに聞かれるけど、
10年以上前に、すでにわたしは出会っていたのか!!!
”ボディ・スキャン瞑想”と説明されている内容はヨガニドラじゃん!
”慈愛の瞑想”ものってるし!しかもかなり詳しい内容。



なんだかこのテキストの内容、

どれもこれもヨガ哲学そのものじゃん!

ヨガスートラ読んでるのかと思うくらい。




テキストの「はじめに」のパートには

瞑想それ自身は、生き方として実践される時にこそ、その意味を最大に発揮するもの

瞑想は、何かの手段ではなく、人生を生きるためのいわば統合的なアプローチ

とあった。
今でこそ、深く納得できる。
・・・というか、当時は頭にこんな文章すら、頭の中に残っていなかった。

たぶん、ヨガを実践しているひとたちにはごく自然な行為として瞑想がある。
朝の支度と同じように、生活の一部として存在している。
「ヨガ」という知恵、やっぱりスゲーよ!



だけどやっぱり、あの頃からこっちの道へ導かれてたんだなあ。
出会いは必然。
今になって(テキストを)見直す機会が巡ってきたのも必然。
だって、今だからこそ、ひとつひとつの内容を噛み締めることができる。
何かのメッセージかもしれないな。





2016-01-04

お買い物の悩み

世間的に微妙なお年頃になり、洋服選びは難しくなってきている。
贅肉の付き方がまるで変わってきているので、試着した姿がイメージとまるでちがうことにガッカリすることも多い。
人さまに見せて不快ではない程度とは思うが、アラフィーと自覚すると脚を出すことも躊躇する今日この頃。


もっと難しいのが下着選び。
だからといって、一年の大半をブラキャミという便利グッズで過ごしてしまっているなんて、このまま萎れたバアさんになってはイカン!と久しぶりに下着のショップへ行ってみた。


しばらく下着買いに来てないから、たぶん、計測してもらわないと合ったブラは買えないな・・・。
でもこのショップのおねえさんたちは、わたしのサイズをきちんと把握できるのか?信頼に欠ける・・・。このひとたちにわたしのサイズを委ねていいのか???

値段の安いものはいかにもすぐくたびれそうだし、どうみてもサイズもちゃんと合わなさそう。
でも高いものはゴテゴテしすぎて、なんだかそのデザインの意味がわかんない。
肩ひも部分にデザインされた大きな花の刺繍とか、ちょっと首まわりのあいた服着たら見えるでしょ。
ラインストーンとか、プチプチ洋服の表面に浮いて見えたらイヤだし。
この上に洋服着るってことを想定してデザインしてるのかな?というほど盛りに盛られたデザイン、カラーのブラジャーたち。
ブラジャーだけ見せて歩いたりしませんから!


わたしと同年代の女性たちは、どんなデザインのブラジャーをつけているんだろうか???


どんな下着を着たら少しは魅力的に見えるか?なんて考えながら下着選びをしたのはいつのことやら。
勝負下着とか必要ないし。
勝負する機会がないし。
小さい胸を盛り上げるぶ厚いパッドも、わたしの年代の人がムリに谷間とか作ってたら気持ち悪くない??
デコルテはきれいに見せたいとは思うけど、そもそも誰がキレイと思うのだ???結局は自己満足のため???




うーーーーん・・・




手に取っては考え、手に取っては考えを何度も繰り返し、結局どれも試着せず、どれも買わずにお店を出た。
これなら買います!っていう下着と出会えるんだろうか???
出会えなかったら、ずっとブラキャミ生活か・・・


ああ、フクザツなきぶん。




2016-01-02

NHK BS「奇跡のレッスン」

昨日、NHK BSで放送されている「奇跡のレッスン」という番組の再放送を偶然見た。
世界のトップレベルの指導者が、1週間こどもたちに特別指導をするというもの。


わたしが見たのはバスケットボール編だったんだけど、





もう、感動の嵐!!!

涙止まらず、ほぼ号泣!!!




こどもたちひとりひとりのスキルや強み、弱みを
限られた時間の中で見極め、
可能性を最大限に引き出していく。
こどもたちの信頼を掴むのも早い!



指導者の素晴らしさもさることながら、
ローティーンのときに、こういったトップレベルの人との
出会いに恵まれたこどもたちが羨ましい。
この経験は後々、彼らの人生にどんな影響を与える
んだろう???




2016-01-01

My resolution in 2016


柔軟


いつもきちんとしていないと気が済まないけれど

たまにはゆるっと

気の向くまま

その時、その時、偶然起こることに

柔軟に対応できればいいんじゃないかと


自分に対しても厳しくしすぎず

もっと大目に見てあげよう