2018-12-10

時代が置き去りにしてきた SOUL

知人がFBで紹介していた動画で、何度見ても心が震えるものがある。

America's got Talent」というアメリカのオーディション番組でGolden Buzzers となった Zurcaroh という acrobatics & dance showグループのパフォーマンス。
オリンピックよりすごいよ!!!!!
のっけから鳥肌もんのパフォーマンスが続々。
特に小さな少女を人形のように放り投げるシーンなんて、高さ、正確さ、お互いの信頼関係の強さが凄すぎ!だって、一歩間違ったら死ぬよ!正確無比のパフォーマンス。
すごいプロ集団だと思う!ぜひ日本に来てほしい!!!

そして同じくGolden Buzzers となった13歳の Courtney Hadwin の歌が、また素晴らしすぎる!なんだろなあ、本当にバイブレーションのように心に直接伝わるかんじ。
彼女が13歳の少女だから感動するわけではなくて、彼女の歌から、声から、ソウルが伝わってくるのだ!本当になぜか涙が止まらなくなる。ほぼ号泣。
”君はこの時代のひとではない!Janis Joplin の生まれ変わりだ!!!”
・・・と(たぶん、そんなことを言ってると思う)、審査員も感動を隠せない。
本当にこんな天賦の才を持ったひとっているんだなあ。本当に何度見ても飽きないし、感動する!



(1番目:Courtney 2番目:Zurcaroh)

Courtney Hadwinに感動したので、Janis Joplin の曲をあらためてYoutubeで曲を聴いてみたら、Janis Joplin の凄さにまた感動。


音楽のウンチクはわからないけど、このひとにはソウルがあるって思う。音楽の神様に見出されたひとなんだろうなあ。
最近、ふとしたきっかけで60's、70's の音楽に触れる機会がぱたぱたと続いたんだけど、昔の曲って、その頃のシンガーって、こんなにずっしりと心に響いてくるものなんだと思う。何もかもがデジタル化された現代にいるから、そう思うんだろうか?

現代と昔、
デジタルとアナログ、
便利と不便、

どちらがいい、どちらが悪いというものではないけれど、こうして振り返ると何か忘れてきてしまったものもあるような気がする。


少し話はそれるけれど、わたしはデジタルデバイスが大好きだし、(年齢の割には)使いこなしている方だと思う。
でも、便利さを求める一方で、アナログ(っぽいデザイン)に惹かれたりもする。
スマホのフリック入力は若い人の親指のように動かなくてワイヤレスキーボードを買おうかと思ったことがあるのだけど、すごく欲しいと思ったのはこれ。

タイプライター風ワイヤレスキーボード 「PENNA」

手動のタイプライターって疲れるのよ、実際は。キーは重いし、力を入れすぎるとダダダってなっちゃうし。でも、あの独特の

ガシャ、ガシャ、ガシャ

というキーの音と、改行するときの

カシャ、・・・・・チーン

って音にしびれるの。
ああ、欲しい・・・。
もちろん、これはデジタルデバイスでデザインがレトロなだけなんだけど、たまらんわ。
AIの今後の動向も気になるけど、温かみというのか、人間らしさというのか、そういうものとのバランスが大事なんだろうなあ・・・。



Janis のドキュメンタリー映画「janis little girl blue」をお正月休みにでもゆっくり見てみよう。



2018-11-30

思い出の「キャンディ・マン」ふたたび

子供の頃大好きだった番組「ママとあそぼう!ピンポンパン」。
三つ子の魂百まで、じゃないけど、ピンポンパンで覚えた歌はいまだにたくさん覚えてるし歌えるよ!
今思い出しても名曲が多くて、子供ながらにけっこう歌詞をかみしめながら歌っていた気がする。
ちなみに、特に好きだったのは


「ピンクのバニー」


それと歌詞の記憶が薄いんだけど、すごく印象に残っていてもう一度聞きたいと思っていたのが


「キャンディ・マン」


マクドナルドのドナルドみたいな人が子供に風船を配るようなシーンがあったような。優しいメロディーがすごく印象に残っているんだよなあ。



それが。
思いもよらぬ番組でこの曲と再び出会うとは!


Amazonプライム・ビデオで海外ドラマ「FRINGE(フリンジ)」を見ていたときのこと。シーズン2(エピソード19)の中で、”歌う死体”が3体、いきなり起き上がって歌い始めたのが

♪Who can take a sunrise〜♪


むむ?このメロディーは!?


♪The candy man〜 ♪



うそっ!!!わたしの好きだった「キャンディ・マン」!!!!!



っていうか、この曲、原曲は洋楽だったんだ、、、知らなかった。
ソッコー、Googleで調べたら、
1971年公開のアメリカ映画「夢のチョコレート工場」(Willy wonka & the Chocolate Factory)で使われた曲なんだとか。(ジョニー・デップ主演の「チャーリーとチョコレート工場」は同じ原作から2度目に映画化されたもの)

で、その曲を Sammy Davis Jr. が歌って当時ビルボードでNo.1になったんだって。
アメージング!




ピンポンパンて、実はけっこう洋楽をカバーした曲が多くて、

「あいうえおばけ」がビートルズの曲だったとは!
「こぐまのテディ」がプレスリーの曲だったとは!

大人になって知る衝撃の事実。
ピンポンパンオリジナルの曲だとばかり思っていたよ。(歌詞はオリジナルだけど)

映画に使われた曲というのでは


「レイン・ドロップス」


も好きだったなあ。
わたしの頭の中では ♪雨だれこぞうさん〜♪ だけど。
原曲はあの有名な「Raindrops Keep Fallin' on My Head」、CMでも使われてたやつね。


Youtubeで上がってた「キャンディ・マン」の映像みたら、わたしの記憶もあながち間違っていなかったわ。ドナルドみたいな服着たお兄さん?が踊ってた(笑)。




2018-11-25

お別れのときの備忘

40代に入ったばかりの頃、高校の部活の先輩が急逝したとき、


自分が突然死んだら、誰に連絡してもらおうか


ということを考えた。
「もしわたしが突然死んだら

ヨガ関係は○○ちゃんで、
仕事関係は○○さんで、
友人関係は○○ちゃんと○○ちゃん

に連絡してね。
とりあえず、核になる人に伝えてもらえれば、あとは必要な人に知らせてくれるはず。」
・・・と夫に伝えておいた。
今は若干、付き合いの範囲が変わったので、その情報も修正しておかないとだな。


そしてつい先日、社内で60代現役の方が亡くなり、出棺まで参列したのだけど、ご葬儀を終えて思ったのは


棺の中に何を入れてもらおう?


だった。
棺の中の肉体は、ただの物体なんだけどね。
夫に「わたしが死んだら棺に何入れてくれる?」と聞いたら、少し考えてから


ヨガウエアとヨガマットを入れてやるよ


と言われたので、ナルホド。そりゃいいわ。そうしてください。
と納得した。さすが夫だ。
「じゃあ逆に棺に何を入れてほしい?」と聞いたら、


洋服


ということなので、そのときお気に入りのスーツを入れてあげることにしておく。
とりあえず、いざというときの備忘。






2018-10-20

100回

毎朝の神社参拝を始めて、100回の参拝を終えた。
物理的に参拝できなかった日と、どうしても行く気になれなかった日が5−6日あっただけで、ほぼ毎日手を合わせてきた。


なぜ、わたしが毎日氏神さまへ向かうようになったか?


それは、ある人からそうするよう勧められたから。


これまでの人生の中で起こった人間関係の躓き。
いじめだったり、
クラスメイト誰とも馴染めなかったり、
とても仲良くしていた友人が手のひらを返したように態度を変えてきたり。



それは単に(心を)傷つけられた、というどころではなく、
”わたし”という人格をとことん否定されたり、貶められた。
消えてなくなりたいと思うほどに。



わたしの何がいけないんだろう?
わたしの発言が他人を嫌な気持ちにさせているのか?
自覚なく他人を嫌な気持ちにさせているなんて、自分が許せない
わたしのことを認めてくれるひとはいるんだろうか?


ことあるごとにそう感じて、


ダメなわたし
サイテーなわたし
わたしには価値がない


、と自分で自分の心に鞭をふるってきたし、自分で自分を貶めるような行為もしてきた。
後でそれは、自己肯定感が低いひとがやりがちなことだと知って、やっぱりわたしはそういうひとなんだと思った。


わたしなんてという謙虚も度を超えればただの卑屈だ。
自己肯定感などほとんどないまま、生きてきたと思う。



漠然と 人づきあいでうまくいかないことが多い



と、その人に話したら


当たり前や。ほかのひとと違って”持ってるひと”やからな。妬まれるねん。
突き抜けたらええねん。
”持ってないひと”に合わせたらアカン。
持ってないひとにまみれたら、”運”を取られるねん。
”持ってるひと”っていう自覚がないとな、フルボッコにやられるねん。
突き抜けたら、妬まれたりする対象にならへんねん。


、と即答された。
そしたら、本当に目から鱗が落ちたかのように


そうだったんだ!


と腑に落ちた。まさに腑に落ちた。
初めて”水”を認識したヘレン・ケラーみたいに。



そして彼女からもらったアドバイスのひとつが、


氏神さまへ毎日行く


ということだった。

以前、山伏の知人も言ってた。

氏神さまというのは、地元の消防団みたいなもの。
家で火事が起きているのに、遠く離れた消防署に「助けてください」ってお願いしても無理な話で、
遠くの地にいる神様に「いま助けてください!」ってお願いしても
神様だって「助けに行ってあげたいけど遠くて行けないよ〜」ってなる。
すぐに助けに来てもらえる地元の消防団=氏神さまを大事にしましょう。


この説明もなるほど!と膝を打ちたくなるくらい納得ものだった。
だから氏神さまへ行くことに全く抵抗がなかった。
そんなわけで明日も氏神さまへ行く。





2018-09-25

It's my ritual

毎日氏神さまへお参りをして、週1回下総国一宮である香取神宮へお参りをする、という生活を続けている。

氏神さまは私が千葉県へ引越してきた4歳の頃から、初詣に必ずお参りに行く神社で、最も自分の生活の中で身近に感じる神社だ。
不思議なことに、今まで住んだ中で現在の家がもっともこの神社に近い。だからというわけでもないけれど、毎日お参りすることはさほど苦でもなく、物理的に旅行で自宅にいなかった時や、どうやっても時間が捻出できなかったほんの4日ほどをのぞき、日参している。

ヨガの練習に行く日は早朝、普通に出勤する日はその2時間後くらいにお参りに行くのだけれど、境内にひとりっきりだったことはほぼない。
どんなに暑い日でも、雨の日でも、必ず誰かがお参りをしていたり、通りがかりに神様にご挨拶をしていたりするのを見かける。
お参りに来る人がお年寄りなのかといえば、決してそういうわけでもなく(うんと若い人は確かにいないけれど)年齢も性別もさまざまだ。
今まで知らなかっただけで、神様の存在が生活の一部になっているひとはたくさんいるのだと、あらためて知らしめられる。


知り合いに、見た目はとても可愛らしい女性だけど「山伏」という人がいて(笑)。
この習慣を始める直前、たまたま彼女から神社参拝の流儀を教えてもらっていたので、形だけはなく、心構えがきちんとできた状態で臨めている。

彼女の言葉を借りれば、神社は「内観する場所」。
参道を歩きながらこれまでの自分を振り返り、神様の前で宣言をする。

さっき「合掌」することについての興味深いコラムをインターネットで見かけた。
脳波をシータ波に下げることで様々な発明をしたという有名な方(故人)が、”合掌し感謝することで脳波が下がる”といったことを著書の中で述べているらしい・・・。


神聖な朝の時間、静かに合掌をして神様に感謝を述べ、アファメーションを行う


脳にとっても、良い習慣を毎日しているようだ。



2018-05-16

高確率

何度も書いているけど、人からよく道を尋ねられる。
ここ5日間のうち3日もお声がかかった・・・。かなりの高確率。

土曜日
オットと愛犬の散歩。天気がいいのでロング散歩で普段行かない公園へ。
公園から出たきたところで、中学生?高校生?の男の子が消え入りそうな声で「あの・・・すみません」と声をかけてきた。
聞けば、サッカーの練習か試合でとある運動場へ行きたいらしいのだけど、携帯の電池が切れちゃって道に迷ったらしい。
一緒にGoogleMapで確認したけど、わかりにくい場所で(汗)。彼、ちゃんとたどりつけたかなあ?おばちゃん心配。

火曜日
ランチを買いにコンビニへ。コンビニから出たところで、おじいさんか?おばあさんか?わからない性別不詳に見えるおばあさんから「すみません」と声をかけられた。
宗教の勧誘だったらやだなーと思い、やや引き気味に対応したところ、ガストを探しているという。おばあさんの歩いてきた方向は見当違いだったので、行き方を教えた。宗教でなくてよかった。

水曜日
朝練に向かう車内。空いた席にすかさず座ったら、隣のおじいさんがやけにソワソワ?するので、なんか気持ち悪いなあと思いつつ本を読み始めたら、「すみません」と声をかけられた。「この電車は〇〇行きますね?」念のため確認したかったらしい。ローカル電車なので、残念ながら車内に電光表示が出ないんだよね・・・。
実はわたしも慌てて飛び乗ったら途中から違う方面へ行く電車だったということが何度かある。・・・けど、わざわざわたしに聞かなくても!わたしが座る前に若い女の子座ってたよ!


ぼんやり歩いているわけでもないし、最近は容易に話しかけられないよう注意をしているつもりなんだけど、まだガードが甘いのか?
いったいわたしからどんなオーラが出ているんでしょう???


2018-04-02

トイレの夢

トイレに行く夢をよく見る。
ところがトイレの個室に入ると、

便器はあるのに穴が開いていない、とか

病院の相部屋みたいにカーテンで仕切られている、とか

便器も穴もない、とか

とにかくいろんな理由で、いつも用を足せないという・・・。


たぶん、そこで用を足してほっとしたら・・・
大人なのにあわわ!っていうことになりかねないので
それはそれでいいのかもしれないけど(苦笑)


夢の中でトイレに行きたくなるたびに
「きっとこのトイレも使えないトイレだな」
と思いながら個室のドアを開けている不思議さ。


そんな話をある場でしたら、

”失敗したくない”っていう気持ちの表れじゃない?

という意見をいただき、
なるほど。そうかもしれないなと。


わたしは失敗を恐れているかもしれない。
人に笑われたくないと思っているかもしれない。
そんな人生、疲れない?

失敗するのが人間だし、
人がどう思おうと自分が積んだ経験はかけがえのないものだ


トイレの夢を見なくなったら、
そんな呪縛から解かれたということかもしれない。



2018-03-20

UNTITLED

誕生日がきて、またひとつ年を重ねた。
今、わたしの中でいろいろな思いが渦巻いているので、丁寧に整理をしたいと思っている。


かつて「まったく違う自分でありたい」と
入れ物も中身もひっくるめて
ああだったらいいいのに
こうだったらいいのに
と思っていたのが


今自分に
「他人になりたいですか?」と問いかけても
「このままでいいかな」
と答えが返ってくるようになった。




いまはとりあえず、それでよしとしよう。







2018-02-20

開けているつもりはないけど、開いてるドア

パン屋のイートインにて。

「買い物するので、これ、ここに置いてていいかしら?」

と隣の席に荷物を置くおばさん。席は空いているので問題はなく、「ああ、はい」と反射的に返事をしてコーヒーを飲んでいたら、しばらくしてパンを買ったおばさんが戻ってきて、

「すみませんでしたねえ。助かりました。さっき、お買い物しちゃったから・・・。
これね、すごく安くなってたのよ。」

と百貨店の紙袋から何やら出してきた。

ああ、きたか、このパターン。

「何を買われたんですか?」
無視するわけにもいかないので、笑顔で一応聞いてみる。

「焼酎、焼酎。1,600円も安くなってて、たくさん買ったら8,000円くらいしちゃったの!
ほんとにすみませんでしたねえ。何か差し上げられるといいんだけど、、、何もないわ。ごめんなさい。」
「いえいえ、お気遣いなく」

わたしはただぼんやり座っていただけなので、そんなにお礼を言われる筋合いもないんだけど、いいお買い物ができたおばさんは、テンションが上がっていたんだろう。

しかし、知らないおばさんに話しかけられるのが日常茶飯事すぎる。
最近では、病院の採血待ちをしていたら、隣に座っていたおじいさん?おじさん?に話しかけられ、採血の名前を呼ばれるまで話し相手になったことも。


いつでもドアをオープンにしているつもりはないんだけどなあ。
かといって、いつもぴたりと閉じているのもどうかと思うし。
わたしはHPSの気があるので、ちゃんと境界線を引いておくべきなのかもしれない。



2018-02-16

いつでも、自分だけは自分の味方

たいていの女子(・・・と自覚しているひと)は、必ず目を通している”占い”があると思う。わたしは石井ゆかりさんとしいたけさんは絶対はずせない。
そのしいたけさんの「しいたけ占い 12星座の密と毒」を読んだら、


やっぱそうかー


と腑に落ちることがありました。
それは自分の星座についてのくだりではなく、しいたけさんが”こんなこと考えてるよ”といったエッセイ的な部分にあったのですが、

何かショックなことが起きている人、身近な人と仲違いをしている人は、できれば神社仏閣に行ってください。これは別に特定の宗教がどうとかではなくて、気持ちを立て直すときって「娑婆」の空気じゃやっぱりダメなんです。
「緊急提言・仲違いについて」

というアドバイスを読んではっとしました。しいたけさんが本の中でしている本来のアドバイスからはちょっと外れるんだけど、

わたし自身が対人関係で揺さぶられてどうしようもなかったとき、休みを取ってどこかへ行って気分転換しよう、と思ったわたしの目に飛び込んで来たのは「伊勢神宮」を訪れている番組でした。
・・・で、「伊勢神宮行こう!」となったわけで、いわゆる「ピン」ときたやつね。
だから、なんていうか、自分がどういう対処をすればいいのか?どういう方向に向かっていけばいいのか、というのは、実はただ直感に従えばいいんだなと。
心の動揺を落ち着けるために、そこから先の自分のアファメーションの場とするために、そのとき、わたしには「伊勢神宮」が必要だったんです。
ああ、わたしはわかってたんだと納得しました。


もうひとつ

・・・(省略)服装に小さな変化が表れるときがあるんですって。そういうとき、水面下でその人のライフサイクルがものすごく変わろうとしているのです。
「チャンスはあっけない」

という下りでまた、うわわわわわわ!!!!と声をあげてしまった(笑)。
わたし、過日、こんな記事を書いたばかりで。
思い当たることがいっぱいあって(笑)。

そのあと、しいたけさんは

「反省」ってし過ぎると怖いのです。「こんな至らない自分なんて許せない」と思っていると、身体の奥底にまで残ってしまう。
(中略)
自分だけは自分の味方であるところに、チャンスはよくやってくる
「チャンスはあっけない」

と書いているのですが・・・、

はい。わたし、ずっと、ずっと、

「こんな至らないわたしが生きていてごめんなさい」

って思って生きてきました。躓くたびに「こんなわたしじゃダメ!」とポカスカ心の中の自分を叩いていました。

今、自分に徐々に現れている現象?に気付いたら、もともとスポ根(パフォーマンスをあげるために自分を鼓舞する)ってわたしにはしっくりこないんだから、笑って許して誉めて伸ばせばいいんじゃね?(←この軽い若者っぽいノリが大事)って(笑)。
こんな今のノリを大事にしたいなあ。




2018-02-12

トウリーダー(レベル1)修了しました!

わたしが「トウリーディング」を知ったのは、2014年 ananの「ふくらはぎと足裏・あしゆび。」という特集号を手にしたからでした。
以来すごく気になっていて、いつかこのセッションを受けたい!トウリーディングなるものを学びに行きたい!と思いつつ時は過ぎていったのですが、昨年、まさか彼女からその言葉が出るとは思わなかった(笑)、友人Fちゃんから”トウリーディング” の話が偶然出てびっくり!


「知ってる!知ってる!わたし、ずっと気になっていたの!」

「じゃあ、メンバー募ってさ、先生に来てもらおうよ」



・・・ってな流れで(←江戸っ子かい!)、念願叶ってトウティーチャーの真弓紗織さんにグループセッションをしていただく機会に恵まれました。


そして今回、そこからさらに!
一歩進んで、”トウリーディングをする側”=トウリーダーになる講座を受講しました。

「トウリーディング」という言葉で勘違いしがちなのは、トウリーディング=足を読む からと言って、占いではないということ。
答えはすべてクライアント自身(足を出している側)にあって、「足」というパーツに投影された(深層)心理を、トウリーダーが見えていること(現象)が引き出し(聞き出し)、なぜだかわからないけど自然に(必然的に?)、クライアント自身の中にあった思いや答えにたどり着くことができるというものです。


ヨガしていても思うんだけど、わたしたちは自分の身体に注意を払わなさすぎている。
生きていて当たり前、動いて当たり前。何か肉体的に深刻なことが起きて初めて、そこには驚くような人体の仕組みがあるんだと意識したり、そこでようやく感謝したりする。
心が悲鳴をあげているのに知らぬふりをして自分の気持ちにフタをし続けた結果、身体の不調として現れたりすることは、普段からあちこちでよく聞く話。
実はそこに至るまでに身体がサインを出しているんだろうけど、まったく気に留めなかったり、気づいたとしてもそれを認めると自分に「負け」を認めるようで、気づかなかったことにしちゃってる。たぶん。
そんなわたしたちだから、足を意識するのはせいぜい靴を選ぶときくらい?
手とちがって普段は靴下や靴に覆われているから、じっくり見ることなんてあまりないんだよなあ。


だからトウリーディングで、真剣に足指と長時間向き合ってみると、発見!発見!あら、また発見!というかんじ。
足指は、今まで歩んできた自分自身のメモリースティックで、そこには自分の情報がたくさん保存されています。忘れた(つもり)の記憶も実はそこにはあって、よーく見ると、見つけてほしそうに視覚化しちゃっていたりするんです!
まさに、人智を超えちゃってます・・・!


わたしたちの中にある顕在意識と潜在意識。
もし自分の中に100人の自分がいるとするならば、その割合はおよそ5人の顕在意識ちゃんと95人の潜在意識ちゃん。5人の顕在意識ちゃんは「手」に似ていて、95人の潜在意識ちゃんは「足」に似ているようなかんじかも!?
手はわかりやすいもんね。すぐ目につくところにあるし。主張してる。手に現れる苦労?ってわかりやすい。
でも足は???体を支えている大事な土台なのに、寡黙だ。靴下をはいてしまえば、靴をはいてしまえば、隠れちゃう。なんか自分たちの潜在意識に対する扱いと似てる。


人のものの見方や価値観はそれぞれのものだから、
わたしは誰かの幸せを決めることはできないし、
誰だって自分の幸せを第三者に決められたくはないものでしょう。
トウリーディングによって、その人自身が気づくことができる。
わたしはそのためのトリガーを一緒に見つけて、目の前にきた誰かを応援したい
と思います。


来月末には、より深いアプローチができるトウリーダーを目指して「レベル2」を受講します。そのために、私自身の勉強として、たくさんの足に触れさせていただきたい!
わたしと面識のある方で、わたしに足を見せてもいいよ~という方がいましたら、ぜひ直接ご一報(e-mail、LINE、MessengerなんでもOK)ください!

撮っていただいた写真。Thank you!


ところで、2日間の講座の中で、個人的に「え?いまそこと繋がっちゃう?」ということがあって(笑)。
12月のヨガニードラの講座でサントーシマ香先生が紹介してくださった著者が、また目の前で紹介されたり。
これはさ、”早く手元に置いて読みなよ~”ってメッセージだよね、たぶん。買います!読みます!

「〇〇(著者名)って知ってますか?」という質問には、「今日、カバンにその人の本入ってますけど!!!」状態だったり。
なんだか今、すごい勢いで何かの流れにのっている気がする今日この頃。わーいわーい!楽しいぞー♪




2018-02-09

Let it go

身体の痛みがまったくないわけではないが、ここ最近の練習は何かが違う。


何か憑物が落ちたような・・・


そう、私の中にあった、”何かこだわりのようなもの”を手放せた実感がある。
とっても自由なかんじ。


久しぶりにまた、自分ののびしろを見つけたような・・・



なんだか清々しい。



2018-01-09

散り際の狂い咲き?

なんだか突然、気分が変わることって、ジョシにはあると思う。


普段はほぼノーメイク。朝練行くし、田舎で働いてるし、メーク落としめんどくさいし、ナチュラルをモットーにしているという言い訳。
なのに、なぜだか無性にアイメイクをしたくなった。(そもそも効果的なメイクの仕方もよくわからないんだけど。)
で、今日は年に数回しかしないアイメイクをほどこしてみた。


朝練に行くようになって、下着がほぼブラキャミという手抜き。
ところが、何かの拍子に無性に新しい(ちゃんとした)下着が欲しくなったりすることがある。他人に見せる機会はないけど、勝負下着的な?←勝負にならんじゃないか!
今がその気分なわけではないけど、なんだかふとそんなときもあるよなーって思った。


気づけば、TPU素材のスマホカバーが黄ばんできた。今まではどうせすぐ飽きちゃうから、シンプルでコスパのいいものを選んできたんだけど、なんだか急に、uniqueでKawaii ものが欲しくなった。
お店で物色してみたら、「これイイ!」ってやつは外国製でびっくりするほど高額。「ほかのひとと絶対カブりませんよ~」とお店の人は言うけど、若者じゃあるまいし、どんなもの使っていても、そうそう人とカブったりはしないのがミドルエイジ。
楽天で長時間物色し、やっとunique & Kawaii &コスパが良さそう なケースを見つけてぽちっと。飽きたときのためにシンプル&コスパがよいものもついで買い。
unique & Kawaii ものを持ちたいというこの心理は、やっぱり他人の目を意識しているということなのかなあ~?


こういう気分の変化って、何なんだろうなあ?
散り際の狂い咲き?