2014-03-23

"教える"こと、"伝える"こと

あや先生WSに参加しました。

あや先生が静かに語る、そのお話は深い。
とても洞察力の深い方なんだと思う。そして物事を上手に咀嚼して消化できちゃう人なんだな、きっと。
ほかの人が語ればただの批判と取り違えられそうな内容も、あや先生はそこに自分の感情をこめず、ただ淡々と言葉にしていく。
なのにその言葉、考え、思いはすうっと心の中にすべりこんで、共感をもたらす。


今回のWSは"教える"ことを前提に組み立てているそう。
それは"ヨガの先生"になって生徒を集めてレッスンをする・・・というカタチには限らない。
自分の頭と身体で理解したことは、自分が思っている以上に自分の中にちゃんと蓄積されているし、そこに"教える"という視点を持つと、骨格や身体のクセなどもじっくり観察するようになって、より理解が深まっていく。だから、どんどん"教える"ということをやってみたらいい・・・といった意味のことを先生は言ってたと思う。


わたしは"教えたい"="指導したい"と思っているわけではなくて、"伝えたい"と思っている。

同じ目線で
同じ空気の中で
呼吸して
動いて
今までわたしが気づいたこと、感じてきたことを
同じように潜在的に求めている人たちと共有したい

そのために"教える"というスタンスに立ちたいと思っている。
でもわたしはそれまでに至っていない、不完全だという思いがあった。
でも"教える"というのはそういうことだけじゃないんだね。
現在は不完全なわたしでも、教えてもいいんだと、正直、心が軽くなった。



アシュタンガの練習は、その人自身が透けてみえてしまうツールだと思う。
じっと練習を見守ると、きっと手に取るように練習生の人となりが浮かんでしまうんだろう。
そう思うとわたしはどう見えているのかなと、ちょっと心配になるけれど、恥ずかしいことはない。
どんなダメな自分もさらけ出さなければ、前には進めないのだから。


ステキな先生、スゴイ先生に出会うと、わたしを一からたたきなおしてください~、弟子にしてください~とばかりにすがりつきたくなる自分がいる。
環境が整うなら、本当はできればそうしたい(笑)。
・・・でも実のことろ、やっぱり自分が求める答えは自分の中にしかないんだろう。
"自分自身の中にグルがいる"とケン先生も言ってた。
だからこそ、日々、粛々と行う練習を通して、ああでもない、こうかもしれない、ああしてみようか?こうだろうか?と試行錯誤を重ね、クリアにしていく。
でもなぜかそこにムリヤリ探っている感はないから不思議だ。



自分の心の声に従って、私なりに"伝える"ことを、少しずつやっていきたい



とあらためて思ったWSでした。