2016-01-28

家族に対する執着

意識がたとえば「A」というものに向かっているとき、



そこへ向けてのアンテナが張り巡らされているから、
やたら「A」に関連した情報に気付くのか?


シックスセンス的なアレが働いて、
「A」の関連情報が引き寄せられるのか?



どちらかはわからないけれど
詐欺被害事件がトリガーとなって、家族に対する思いをふつふつとさせていたら




もう、まさに、
このタイミングで
この内容が
運ばれてきたのはなぜ?




という内容のブログエントリーのお知らせが、未明に届いていた。
考察が深い人のブログを読むのが好きで、いくつかのブログの読者になっているのだけど、
以前にも読ませてもらったことがある、少し古いエントリーにコメントが書き込まれたようで、更新のお知らせとして届いたらしい。
(今回の場合は、シックスセンス的なアレ、の方かな・・・)


自立とは~親子問題解決への執着を手放す事について思う。 ルッカ*ルシカ ブログ」より



このエントリー内で紹介されているように、わたしも親子問題を解決しようとはしていない。
TVで「ナイナイアンサー」とかを見ると、やっぱり「わたしはこう思っている」と話してみたほうがいいのか?と思ったことも何度もあるけれど、結果として手放している。(手放した、と過去形で語れないところが、まだモヤっとしているところかな・・・)


「親子問題」と表現したけれど、いろんなモヤっと感を感じているのはわたしだけで、親のほうは問題とは感じていないだろうし。

いろいろ考えた結果、親のせいにしてしまえば自分はラクだけど、当時、あえて疑問を感じなかったり、変えようとしなかった自分も悪いという自覚もある。

何より、老い先短い人に、大きなダメージを与えたくないというのもある。
(・・・そういうと聞こえはいいが、実のところ、衝撃的なダメージを与えてやりたいという悪魔の囁きがまったくないわけではない。)



だから、母に悪態をつかれて腹が立っても、
なんでわたしばかりこんな言われ方をするのかと
理不尽に思っても、



わたしが悪者になっておけばいいや。



と一旦は手放すようにしているのだ。
たぶん、妹は相当早い時期(ティーンエイジャーの頃)から、そうだったんだろう。
彼女もまた、親に対して本音は語ったことがないと思う。




我が家はごくごく普通の、一般的には常識的な家族だと思う。

でも実のところ、誰も本音で接してないんだな。




そんな中、実は唯一、母だけが本音の人なのかもしれない。


・・・なんとなくそう気付かされた昨日今日になった。