2013-11-07

「いわれのない自信」について考えてみた

ナイナイアンサーで心屋仁之助さんが言ってた言葉。


小さい頃から認められてこなかった人は、"自分は認められない人だから頑張らないと認めてもらえない"というスパイラルに入ってしまう。

子供の頃から褒められまくった人は、"いわれのない自信"がある。



おおお!そうなのか!そうだったのか!と思いました。


「え?アナタのどこからそんな自信が???勘違いも甚だしくない?」
っていう人を何人も知っています。
第三者から見てどんなにイケてなくたって、おバカさんだって、本人には揺るぎない自信があるひと。
いやいや、あなたよりわたしの方がまだマシだと思うけど???といくつか自分の勝っている点を頭の中に挙げてみるものの、悲しいかな、わたしにはどうやってもやっぱり彼らのような自信は持てないのです。


それはやっぱり、あまり褒められてこなかったからなのかー。

認めてもらえることが少なかったからなのかー。


もともと前に出ていくタイプじゃなくて、引っ込み思案な性格の上に、
"能ある鷹は爪を隠す"ものだと言われ、


"謙虚は美徳"


みたいな考えの両親のもとで育ったので、自分の中で"他の人より優れていること"に目を向けることもなかったし、今でいう"自分の長所や強み"を人に悟られるのは下品だとも思っていました。


加えて、不幸にも小学校1年生の時から極端に視力が悪くなり、小学校3年生でメガネなしの生活ができなくなりました。当時の小学生でメガネをかけているこどもなんてほとんどいません。
メガネをかけているだけでひどいことを言われたりもするし、小学生といえども女子としては見てもらえないわけです。しかも歯科矯正をしていたので、見た目的にはアグリーとしか言えなかったと思います。
それまで写真をたくさん撮ってくれた父も、そのくらいの時期からあまり写真を撮ってくれなくなりました。コドモ心に切なかった。写真を撮ってもわたしが可愛く写らないから写真を撮りたくないのだと思いました。
成績は良かったけど、それだけに、そんな容姿じゃ"マジメが服着て歩いてる"くらいにしか思われないのもイヤでした。だからどんどん自分が嫌いになった。
わたしにとってコドモ時代は暗黒の時代なのです。


そんなわたしでも、勘違いするほど褒められて育てられていたら、もしかしたらゆるぎない自信もついたのかもしれません。でも当時の両親だって精一杯やっていたはずだということは、もういいオトナのわたしにはわかります。


だからあとは自力で


☆なりたい自分
☆目指す自分


に近づくように努力して、じぶんを誇らしく思えるようになりたいのです。