2013-10-11

こうしてわたしは二重まぶたになった

Gunosy(グノシー)」というサービスを利用しています。
独自のアルゴリズムにより、利用者の興味のある記事を知らせてくれるというものです。
毎日決まった時間にその情報メールが届くように設定しているので、仕事の空き時間にチェックするのですが、ついついあちこち余計な記事まで読んでしまいます。


つい先日、「目は心の窓」というタイトルに惹かれて美容関係の記事を読みました。
心が開くと目が大きくなるととか、目ヂカラがでるとか、そんな内容だったと思います。
そんなことで目が大きくなるなら、苦労はしないよ!!とムッとする人もいるかもしれませんが、いやいや、意外とそんなこともあるのかも。

・・・というのも、わたし自身、ある日気付いたら二重になっていたからです。
しかも何の努力もしないで!

子供の頃は確かに一重でした。妹は赤ちゃんの時からくっきり二重で、一重で小さい目の母は「Tちゃん(妹)のおめめはキレイなくっきり二重ねー」と自慢げに、口癖のように言っていた気がします。
わたしはというと「一重だけど切れ長の目」という表現でした。一重のわりには「目、開いてんの?」と揶揄されるような細すぎたり、小さすぎる目でないことは確かだったと思います。
思いっきり目を見開いて力を抜くと、一瞬だけ二重になるという技を発見して、たまにそんなことをやっていました(笑)。
「ほらほら、ふたえー」って人に見せると返ってくる答えは「なんかへーん」。・・・がっかりです(苦笑)。今なら想像できます。たぶん、アイプチでむりやり二重にしたような不自然さがあったのでしょう。アイプチ使ってないけど。自力だけど(笑)。

作家の林真理子さんが駆け出しの頃(・・・だと思う)、ティーン雑誌に連載を書いていて、二重まぶたについて書いていたコラムを読んだことがあります。
林真理子さんは一重の目がイヤで、「考える人」みたいなポーズでいつもまぶたを指で押していたんだそうです。そうしたら、いつしか二重になった!で、他人から「(ブスでも)大きなおめめの林さん」と言われるようになった・・・という内容だったと思います。
そのコラムを読んでいるとき、うらやましいと思ったわけではありませんが、なんだか共感する部分がありました。


時を経て、30歳を過ぎてからのこと。
仕事関係の人とエレベーターの中で話をしていてまぶたの話になり

「わたし、一重まぶただからさー」

と言ったら、相手はけげんな顔をして

「・・・え?どうみても二重だけど?」

「やだー、よく見てよ、一重、一重」

「・・・えーーーと、やっぱり二重だけど?」

「うそー???」

エレベーター内の鏡で自分の顔を見てみたら、あーら、不思議。
そこにはくっきり二重のわたしがいました。
いったい、いつから???
毎日鏡見てるのに、思い込みってコワイ。と思ったのもその時です。
その頃、わたしに何か心境の変化があったかどうかはよく覚えていませんが、結婚後の話なので、結婚前と比較すれば、少しずつ自信が持てることが増えてきていたのかもしれません。



その後のわたしのまぶたが一重になることはなく(大泣きした翌日は除いて)、むしろますます「大きい目」の印象が強まっている気がします。
「昔一重まぶただったんだよねー」と言っても皆信じられないみたいです。

わたしに似ているらしい 愛犬うてな